一海漫遊記【薩摩国分】

薩摩旅行:2016年3月21日【国分→隼人→仙巌園→鹿児島】
新しく執筆するために鹿児島へ参りました。
鹿児島までは新幹線一本で行くことが出来、本当に便利になりましたね^^

さて鹿児島へ着くや、まず向かったのは島津義久が晩年を過ごした國分城。また義久の娘で初代藩主・家久の正室であった亀寿さんが過ごした町でもあります。
京をイメージして作った町だけに雅な雰囲気を感じました。
この国分で昼食としてさつま揚げを食しました。
国分寺跡
舞鶴城跡


薩摩揚げ
次に向かったのは関ヶ原当時、薩摩を主導した義久が居城としていた富隈城です。
秀吉によって鹿児島内城から出された義久が築かせた城です。
関ヶ原で敗れた義弘が対面したのもこの城です。国分からは歩いてきました。
近隣駅の隼人駅ですが、中々隼人らしいしぶい感じの駅でした。
富隈城

隼人塚
隼人駅
本当は帳佐に行くつもりでしたが、時間がなく仙巌園へ。
仙巌園ですが歩いていくと結構大変です。道のりもですが、歩行でいくのはメンドいですね^^;
実はここが目的ではなく、収蔵されていたものを見れるかなと思いやってきました。
それは島津家の軍旗「時雨旗」で始祖・忠久が生誕時に豪雨で助かった逸話から作られた旗です。しかし特別展示でしか拝見出来ず、この日は断念。
近くに亀寿さんを祀った神社がありましたので、参拝しました^^
仙巌園


仙巌園を出て鹿児島駅へ。
そして内城跡へ行きます。
内城は義久たちの父・貴久が宗家の城として築城した平城です。鶴丸城に移るまで島津家の居城でした。今はその跡地に小学校が建てられています。
森有札生誕地
鹿児島内城跡
そして島津家墓地へ。
実はここは福昌寺という菩提寺だったのですが、廃仏毀釈で潰されており、ちょっとショックでした。
いくらなんでも藩主の菩提寺まで潰してしまうとはいかに廃仏毀釈が無茶苦茶であったかを物語っています。
福昌寺跡
最後は今回の最大の目的の一つ、じめさあの石像です。
じめさあとは亀寿さんの法名「持明院様」が訛った言い方で、庶民に彼女はそう呼ばれて親しまれてきたそうです。
この石像が本物かどうかは?なんですが、毎年彼女の命日に若い女性がこの石像に化粧をしてあげる行事があります。
見ていますと亀寿さんへの想いが伝わってくるようで大きな物を収穫いたしました^^
じめさあ
薩摩旅行:2016年3月22日【鹿児島】
二日目も薩摩探索です。
昨日行けなかった帳佐へ向かいます。
雄大な桜島を見ながらの電車は最高です^^
桜島
帳佐は義弘の居城があった城です。
秀吉の命で義久に代わって義弘が当主とされたのですが、義弘は内城には行かず、ここを居城としました。
関ヶ原交渉時もここが義弘の拠点の一つとしていました。
ここには彼の愛馬の墓もあり、義弘の人格が偲ばれる町です。

帳佐館跡
さて次は鶴丸城。
お城が目的ではなく、黎明館で調べ物の為に参りました。実際に史料を見ることでプラスになることが多いため、博物館で実物を見学しました。
館員の方に地元の方ならではのお話もお伺いいたしました。
鶴丸城跡
篤姫像
西郷隆盛像跡
その後、県立図書館でと考えていたのですが・・・何と臨時閉館^^;
やむなく市立図書館へ移動です。
ただ市立図書館では豊富に資料が整っており、とても参考になりました。


その日のうちに帰阪しないといけませんでしたが、鹿児島天明館などで食事を取り、ぎりぎりまで鹿児島を堪能しました。
お陰様で無事取材も出来ました。後は頑張って作品を完成させることです。
どうか出版出来ますようお祈りしたいものです^^

殺し屋??

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