一海漫遊記【八重さんに魂を魅かれた旅行in京都】

2013年5月5日~八重さんに魂を魅かれた旅行in京都~
松屋町、そして亀岡も終わった5月5日。
せっかくのGWですので、京都まで遊びに行くことにいたしました。

目的は天智天皇陵と後白河天皇陵。
まずは御陵駅まで行き、天智天皇陵まで向かいます。



天智天皇陵
天智天皇陵は簡単に辿り着いたのですが、亀岡の時からの悪夢が継続中。
デジカメの調子が悪いままで泣きそうになっていました^^;
そこで携帯のカメラを使ってみたのですが、綺麗に映ることがわかり、この日は携帯を使用することにしました。
…松屋町で携帯が壊れ、データも吹っ飛んだのですが、メモリーカードを使っていないことが判明。ようやくメモリーカードを使用することを覚えた一海でした^^;

なにはともあれ、旅行再開です。
天智天皇は初めて時計を導入したとされる天皇ですので、入口には日時計があります。
日時計
日時計を後に、ひたすら蹴上まで歩いていきます。

蹴上には高名な南禅寺があるのですが、何度も訪れていますので今回はパスです。

さてここから一気に後白河天皇陵へ―と思ったのですが…恐らく天からこんな声が聞こえていたのでしょう。
「ならぬものはならぬ」

今年の大河は『清盛』ではなく『八重の桜』

私には天賦とも言える(?)方向音痴という才覚があります。
あとで地図で見ると見事に間違った方向に進んでいました。
南に行かなければならないのになぜか北へ進んでいました^^;;

三条と四条をうろつき、何故か御所へと向かっていたのです。
途中本能寺の信長廟に寄ったりなどしておりました。
信長公廟
時間的にも後白河天皇陵を諦めたのですが、素直に御所に行くにもと思い、今まで行かなかった御所東側を歩くことにしました。

京都市役所から北上しましたが、色んな史跡があります。
まず幕末、「赤鬼」と称せられた井伊直弼と一緒に安政の大獄を指導した「青鬼」こと老中・間部詮勝の邸跡です。
間部詮勝寓居
さらに進みますと藤原定家邸跡、
藤原定家邸跡
本因坊発祥地、
本因坊発祥地
そして下御霊神社に幕末維新の学者・横井小楠受難の地に辿り着きます。
下御霊神社
横井小楠殉難地
ここから御所東側を進んでいくわけですが、山本八重の夫・新島襄の自宅が現存しています。
新島襄邸
同志社関係を全く訪問するつもりはなかったのですが、一人「ああ、ならぬものはならぬのです」と呟きながら、妙な納得をしておりました^^;

さらに進みますと色々と史跡があります。
紫式部の邸があったとされる廬山寺があり、


廬山寺
松平容保の仮宿で、かつ篤姫の曽祖母のお墓がある清浄華院、

清浄華院
三条実美を祀った梨木神社もあります。

梨木神社
御所東側を通りぬけてその北側は同志社関連の建物ばかりになります。
かつては五摂家の一つ・二条家の邸もあった場所です。
二条家邸跡
結局後白河天皇陵を諦めざるをえなかったのですが、それならばと、後水尾天皇歯髪塚だけでも行っておこうと相国寺に向かいました。

相国寺



後水尾天皇歯髪塚
相国寺で少し休憩した後は、綺麗な夕陽を浴びながら御所を突きぬけます。

御所を通り抜け、帰宅のため烏丸まで歩いて行きます。
その途中ですが国際マンガミュージアムの近くに、安政の大獄で処刑されました梅田雲浜寓居碑を発見いたしました。
梅田雲浜邸跡
また久しぶりの新風館の周辺には保元の乱の舞台でもあった三条東殿の碑があり、一人喜んでおりました^^;
三条東殿
本当に京都は歩けば何かしら史跡がありますので、飽きないです。
今度は是非後白河天皇陵を訪れたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください