一海漫遊記【GW京都・壬生2004年】

GW・京都の旅~2004年4月29日【壬生】
毎年のGWは必ずどこかへ旅行していますが、今年は新撰組発祥の地・壬生と南禅寺・清水にしました。当初壬生は11月頃を予定していましたが、先日雑誌で「京屋忠兵衛」さんという新撰組グッズ専門店があることを知り、急遽このようになりました。そして最初に向ったのは壬生の八木邸です。
八木邸正面門。内部は撮影禁止
屯所餅に抹茶
八木邸は天正年間ーつまり戦国時代末期に京へ移り住んだ八木家の邸宅です。現在も八木家の方が住んでおられ、和菓子屋さんを営んでおられます。建物は幕末から変わっておらず、新撰組がいた当時そのままのものです。もっとも血のついた天井は八木家に嫁いでこられたお嫁さんによって変えられたそうです。一瞬「もったいないな・・・」とは思いましたが、実際住むことを考えましたら、血の天井は嫌ですよね^^;
近藤勇の真似・・・て拳が入るかいっ^^;
八木邸の見学を終えた後は京都鶴屋・鶴壽庵(八木家経営の和菓子屋さん)の屯所餅と抹茶をいただきながら、一服いたしました。その折に隊士たちが腰掛けた石で近藤勇の真似をしてみましたが・・・拳を口に入れることなど出来ませんでした^^;近藤勇も凄いですが、香取慎吾さんも凄いなーと妙に感心してしまいました。
壬生寺
さて次に向ったのは八木邸のすぐ近くにある壬生寺です。壬生へは以前一度来たことがあるのですが、さすがは大河ドラマの影響は凄いです。色々と変化がありました。
近藤勇の胸像

近藤勇・芹沢鴨・平山五郎・河井耆三郎たちのお墓
まず変わっていたのは隊士たちのお墓が入場有料になっており、更に入り口付近に建物が新造されていました。以前は自由に入ることができ、観光客もほとんどいませんでした。しかし大河の影響は凄いですね。私自身も以前は芹沢鴨にはほとんど見向きもしませんでしたが、大河の影響で芹沢鴨を見直しています。俄然と彼のお墓参りをした時も情が篭ってしまいました^^;
前川邸では新撰組グッズを販売
清河八郎たちや山南敬介のお墓がある新徳寺
とこんな感じで壬生を回りました。清河八郎が浪士組の面々に攘夷を促した新徳寺や、芹沢鴨の愛人・梅が住んでいた前川邸もここら一帯にあります。そして新撰組グッズ専門店の「京屋忠兵衛」さんもこの界隈にあります。京屋忠兵衛さんのレポは「一海の目2」にてレポをしていますので、そちらをご覧ください。
GW・京都の旅~2004年4月29日【南禅寺】
昼食を壬生で終え、次に向かったのは蹴上にある南禅寺です。南禅寺へはまず四条烏丸まで歩き、そこから地下鉄で向いました。その折に京独特の電車を見つけましたので、まずは一枚撮影しました^^
雅(?)な京の電車
その電車には乗らなかったのですが、時間にして7分ほどで南禅寺に到着いたしました。
 南禅寺ですが、室町時代に将軍義満が「五山の上」と制定した最高峰の禅寺です。「五山の上」とは京都五山と鎌倉五山の上に立つ格式のお寺のことです。南禅寺が輩出した名僧といえば金地院崇伝が挙げられます。崇伝は家康の側近で「黒衣の宰相」と呼ばれた人物です。豊臣氏を滅ぼすきっかけとなった鐘銘事件も崇伝が暗躍したとも伝えられています。
 その崇伝が住職を勤めたのがこの金地院です。金地院の奥には家康を祀る東照宮もあり、立派な建築物でした。
金地院東照宮に通じる門
 それらの建築物を後にいよいよ南禅寺に到着です。金地院と同じく南禅寺もまた安土桃山時代に生きた著名人と関わりがあります。それが南禅寺の三門です。そして著名人の名は石川五右衛門です。色々と謎の多い人物ですが、それだけに彼の遺した逸話は印象的なものが多いです。この三門に登った五右衛門の「絶景なる哉」という台詞は本当に有名です。
南禅寺・法堂
亀山天皇分骨堂から見た南禅寺方丈
有名な南禅寺三門
 この日は特別に三門が公開されていましたが、まず方丈へと向いました。方丈には新緑が美しい庭があり、その庭の片隅に南禅寺建立に尽力した亀山天皇の分骨堂もありました。ちなみに亀山天皇は後醍醐天皇の祖父で、蒙古襲来の折は博多の箱崎八幡宮に「敵国降伏」の額を下賜した天皇です。

絶景なる哉ーーーー!!
さていよいよ三門です。三門に登り言う台詞はただ一つーそうやはり「絶景なる哉」ですね^^で・・・調子に乗って「またつまらぬ物を斬ってしまった」という台詞も言ってしまいました^^;とにもかくにも三門から見る風景は本当に絶景で、皆さんも機会がありましたら、是非登ってみてください。
琵琶湖から京都に水を運んだ疎水
GW・京都の旅~2004年4月29日【平安神宮・清水寺】
 壬生、南禅寺の次は甲冑隊用の巾着を求めて清水へと向うことにしました。その途中平安神宮がありましたので、トイレ休憩も兼ねて参拝しました。
平安神宮の正門・応天門
大鎧で帝に拝謁シーンをやってみたい^^;
平安神宮は明治28年に京都遷都1100年を記念して壮健されたもので、清涼殿を模して造られたと言われています。ですので平安時代の宮殿をイメージするのは平安神宮が一番だと思います。私もいつの日か狩衣か何かで参拝してみたいですね^^
GW・京都の旅~2004年4月29日【清水】
 平安神宮から歩くこと小一時間。三条を経て四条・円山公園ーそして清水坂へと至りました。清水坂と円山公園の間にあります高台寺の分院で月眞院というお寺があります。そのお寺の門前には伊藤甲子太郎が結成した「御陵衛士屯所跡」の碑があります。伊藤甲子太郎は新撰組参謀で、後に隊を脱退して御陵衛士という隊を結成しました。そして新撰組とは完全に袂を別ち、対立していくことになります。ちなみに御陵とは当時崩御した孝明天皇の陵のことです。そして高台寺・月眞院に屯所を置いたことにより御陵衛士は「高台寺党」とも呼ばれています。この御陵衛士は後に新撰組によって粛清されてしまいます。
 とこのようなエピソードを持つ場所なのですが、私にとりましてもこのお寺は特別な思い入れがあります。もう随分前ですが、源氏物語の夕べがここで催されていたからです。私が始めて狩衣を着用したのもここでした。いつも月眞院を通るたびに「ああ、随分遠くまで来たような^^;」と装束を着た最初の頃を思い出してしまいます。
御陵衛士屯所跡の月眞院
と長々と語ってしまいましたが、実際にはそれほどの時間は取っていませんでした。何故なら巾着袋を探していたためです。巾着袋を求め、清水坂にあるお店を片っ端から入り、ようやくお目当てのものを発見しました。それにしましても清水もまた一海コレクションの原点にある場所です。清水坂にあるお店で初めて模擬刀を購入しました。今では求める物がマニアすぎるために違うお店で購入していますが、ここでも思わず甲冑・装束マニアの原点を見つめ直してしまいました^^;
夕陽に染まる清水寺

(左)「太陽を我が手に!」某漫画の大魔王気分の一海(爆)(右)京の夕陽が沈む瞬間
とここまで来るのにたっぷりと時間を費やしたため、清水寺に到着したのは夕暮れ時でした。この日は素晴らしい晴天で、夕陽もまた格別でした。そのため何枚も夕陽の写真を撮り、そして最も気に入ったのが上記の写真です。左の写真は「我が手に太陽を握った」とくだらないことを言っている場面です^^;
飛行機雲が八坂の塔にかかる瞬間
とこんな感じで今年のGWも楽しい一時を過ごすことが出来ました。本当に京都という街はいつ来ても素晴らしいなと感動してしまいます。また何か機会を見つけて京都へは遊びに行きたいですね^^

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