一海漫遊記【松平郷2004年】

2004年9月26日~覇王の旅・役得一海の巻~
 世の中には役得はあるもんだなーと思った一日でした。この日は別段、松平郷に行くべく愛知豊田まで行ったのではありませんでした。この日は店の仕事の一環でもあるトライアル全日本戦観戦のために豊田へと向っていました。ところが豊田の奥に入り、全日本戦の会場へ行く道すがら、私の目に飛び込んできた文字がありました。そう「松平」-。
「松平? ・・・てまさか、あの松平? そういえばここは愛知県・・・そうや、徳川家の発祥地・松平や!」
と途端に元気になり、車の中で大騒ぎする一海。それを見た親父殿がそれならば後で寄ろうと言ってくれたために寄ることが出来ました。うーん、何と言う幸運! 一海の頭の中は既に松平郷のことで一杯でした(て、肝心の全日本戦はどうなのか、というツッコミはなしで^^;)
ここが松平氏発祥の地!
 さて危うく本来の目的を忘れてしまいそうでしたが、何とか全日本戦を観戦し、しっかりとトライアル競技を勉強した後に、一躍松平郷へと向いました。松平郷は至る所に葵の御紋があり、『水戸黄門』の世界でしたら、平伏ばかりで前に進めない土地です^^;車で進むこと5分ほどで松平家が居館を構えていたという松平東照宮へと辿りつきました。
松平東照宮
 松平郷の感想ですが、予想以上に整備がされていました。観光客も決して少なくはありませんでした。ちなみにこの松平の地は徳川三百年の間は聖地とされてきました。また領主も始祖・親氏から分かれた松平太郎左衛門家によって治められていたようです。太郎左衛門家は代々の旗本で、通常の葵の御紋を使うことも許可されていました。
家康産湯の井戸
徳川家の祖・徳阿弥(松平親氏)夫妻出会いの腰掛岩
松平親氏像
 この東照宮には至る所に徳川家縁の史跡があります。例えば家康の産湯に使われたという井戸や、徳阿弥と名乗っていた時代の始祖・親氏夫妻が恋を語らいあったという腰掛岩などがそうです。そして全国でも恐らくここだけにしかないであろう松平親氏の銅像も建っております。
 とにもかくにも松平郷は豊田市から奥地にあり、そこから天下を統一する子孫を出そうとは誰も夢想だにしなかったことでしょう。また松平郷から豊田市までの道のりはまさに松平氏発展の歴史であり、それを思うだけで歴史ロマンを感じることが出来ます。本当にこの日は松平郷に寄ることが出来て最高でした^^

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