一海漫遊記【正月旅行2006】

お正月旅行①2006年1月4日【江戸城・その1】
今回は初めての正月の旅行です。
なぜ東京かと申しますと懇意にしています光山堂さんに新甲冑をお願いするためです。そのついでに富士山を見てみたいと考え、今回の旅行を思いつきました。
さて夜行バスに揺られ、東京についたのは朝6時半。当然どこの史跡も博物館も空いていません。軽く食事をして、東京駅の地図を眺めていますと皇居が思ったよりも近いではありませんか!
東京駅から歩くこと7分ほど。ゆっくりと坂下門・桜田門へと向かい、あることを思いつきました。そうだ、ここはひとつ皇居を一周してみよう―こうして皇居一周散策がスタートしました^^

江戸城一周スタート!

坂下門

二重橋

桜田門
坂下門外の変で有名な坂下門を西に歩いて行きますと二重橋、桜田門へとたどり着きます。桜田門はご存知、幕末史一大転機となった桜田門外の変の現場です。今も昔も警備がとても厳しいです。いかに幕末とはいえ、ここまで幕府中枢の場所で大老や老中が襲撃されるとは、当時の日本人にとっては奇想天外の事件だったと想像出来ます。この距離的にすぐ近くの門で幕末史が動いたことを思いますと不思議な気持ちになっていまいます。

楠木正成像
さて皇居周辺には多くの銅像が建立されています。桜田門近くには有名な楠木正成像が建っています。この正成像ですが、近くで見ますと実にその完成度が高いかよくわかります。多くの武者像はデティールが甘く、中にはろくに甲冑の構造すら理解していない作品もあります。ところがこの正成像は甲冑の着用法や紐の結び方、時代考証が実によく研究されており、三十分ほど長々と眺めてしまいました(・・・こんな見方する観光客はほとんどいないと思いますが^^;)

日比谷公園

GHQ本部のあった第一生命ビル

国会議事堂
さて桜田門に戻り、そこから少しばかり周辺を歩いてみますと近・現代史に登場する場所が点在しています。例えば日露戦争後のポーツマス条約に不満を持った市民が起こした「日比谷暴動」の日比谷公園、GHQ本部があった第一生命ビル。そして国政の中心・国会議事堂があります。皇居の周辺は江戸から現代に至るまでの歴史が詰まっていることを改めて実感します。
お正月旅行①2006年1月4日【江戸城・その2】
さて桜田門から半蔵門を越え、西周りに北上しますと北の丸公園があります。北の丸公園には鑑開きやコンサートで有名な武道館があります。また北の丸には田安門と清水門があります。この二つの門は八代将軍吉宗と九代将軍家重の代に創設された御三卿(田安・一橋・清水)の屋敷があった場所です。一橋門は現在はなく、地名が残っているだけです。

武道館

田安門
田安門を出ますとすぐ近くに靖国神社があります。色々と話題になっている靖国神社は一度は訪れてみなければ、と今回の旅程に組み入れていました。感想はやはり普通の神社とは少し雰囲気が違うように思えます。戦没者の慰霊を弔うことは大事ですが、アジア諸国の方が不信感を抱くこともわからないこともないと思いました。ただここは論争の場ではありませんのであえて靖国神社に対する感想を述べることを遠慮したいと思います。

品川弥次郎像

大山巌像

大村益次郎像

靖国神社


清水門


吉田茂像


蕃書取調所跡碑


太田道灌顕彰碑

靖国神社を後に東回りに歩いていきますとたくさんの銅像や碑に出会います。例えば明治の元勲・大山巌と品川弥次郎像、ペリー来航後、急設置された蕃書取調所跡、そして江戸城を築城した太田道灌顕彰碑などもあります。
お正月旅行①2006年1月4日【江戸城・その3】
現在天皇陛下がお住まいになる宮殿は西の丸にあり、かつて歴代将軍が住んでいた本丸は現在無料で公開されています。入場門は大手門と平川門の二つで、前回は大手門から入城しました。しかし今回は一周していたせいもあって平川門からの入城です。
この平川門ですが、別名「不浄門」と呼称されています。城内で死人や罪人が出た場合は必ずこの門から出されたため、このように呼ばれました。『忠臣蔵』で有名な浅野内匠頭も吉良上野介への刃傷事件のあと、平川門から切腹先の田村右京太夫屋敷まで運ばれています。
平川門
その平川門からの入城で少しばかり気が引けていたのですが、一度反対側からも良いと思い、天守跡へと向かいました。
さてその本丸跡ですが、さすがは将軍家、本当に広いです。天守台もとても大きく、明暦の大火で天守閣が焼失したのが本当にもったいないです。

江戸城天守跡
さてその天守台でおのぼりの一海は「天下獲ったどーーー」(濱口調)記念撮影をいたしました^^;うーん、基本的に旅行先で自分の写真を撮ることはしないのですが、こういうネタ写真は撮りたくなってしまいます^^;

天下、獲ったどーーー!!

天守台を降りますと眼前には広々とした芝生地があります。ここがかつて大奥などがあった場所です。また先に進みますと著名な松の廊下跡があり、思わず携帯でHaNiWa☆氏に「先日の遺恨、思い知ったか」メールを送付してしまいました^^;(もちろん遺恨などありません^^えっ、そっちになくてもこっちにはある??HaNiWa☆殿、殿中、殿中でござるぞ(爆))
大奥跡
富士見櫓
松の廊下跡
大番所
大手門
と本丸跡を出て長かった江戸城一周散策は終了です。ゆっくりでかつ寄り道ばかりしていましたので、所要時間は4時間半かかってしまいました^^;しかしとても面白く、かつ色々と考えることの出来た一周でした。
お正月旅行①2006年1月4日【上野寛永寺~浅草】
東京へ行きますと必ず寄る場所があります。それは上野です。と申しますのは上野に行きつけのラーメン屋「一蘭」があるからです。「一蘭」は博多にありますが、東京にも何店舗か支店を出しています。味も博多の本店と変わらず(値段は違いますが)ついいつも立ち寄ってしまうのです^^
一蘭ラーメン
一蘭で食事した後は、上野公園へ寄ってみました。久しぶりに西郷さんと対面し、「うちの人はこげな顔ではなか」と西郷いとさんの台詞を言った後(←何でやねん^^;)、東照宮まで足を伸ばしてみました。
上野の西郷どん
この上野ですが、ここも色んな時代の史跡が点在します。幕末維新の折、壊滅した彰義隊の石碑もあれば、江戸開府した徳川家康を祀った東照宮などもあります。東照宮ですが、今でこそ所々剥げていますが、日本では異風の豪華絢爛な様相が伺うことが出来ます。堂内では家康の像があり、しばらく対面しながらあれこれと家康や江戸のことに思いを馳せていました^^
彰義隊の碑
上野東照大権現宮
最後に向ったのは浅草です。実は目当てのお店を探そうと立ち寄ったのですが、すごい人出でそれどころではなかったです^^;しかしその中でもちゃんと浅草名物の天麩羅饅頭だけは食べておりました。この天麩羅饅頭、本当に美味しいんです^^
すごい人出の浅草
天麩羅饅頭
浅草を出た後はいよいよ新甲冑の相談のために亀有の光山堂さんへ向いました。今回も相当無茶な注文ばかりでしたが、素晴らしい甲冑が完成しそうで、今から楽しみです^^
その後、知盛殿や織部正殿を交え、亀有で濃い内容の食事会をいたしました。食事会では光山堂さんの熱い思いを聞かせていただいたり、織部正殿の実体験を元にした甲冑検証は聞いていてとても為になりました。機会がありましたら是非ご一緒したいです^^またこの日は光山堂さんにご馳走していただき、感謝感謝の気持ちの食事会となりました。
武田鉄矢さんのサイン
亀有を出た後、宿泊先の北千住へ向いました。そこで知盛殿とお茶をし、甲援隊のことなど色々と遅くまでお話しいたしました。本当に今回の上京では色んな方にお世話になりました^^
ちなみにこの日の宿はかつて『3年B組金八先生』のロケで武田鉄矢さんが宿泊した部屋に泊まりました。宿はアットホームな雰囲気でまた上京の折はここで宿泊したいですね^^
お正月旅行①2006年1月5日【鎌倉~富士宮~ちょっと名古屋】
早朝から宿を出て向ったのは鎌倉・鶴ヶ丘八幡宮です。折角ですので、今年一年の祈願をと思い、立ち寄ってみました。
鶴ヶ丘八幡宮へ初詣
願いを込めて・・・
いつも八幡宮への参拝でこだわっているのは壇葛から拝殿までの道はひたすら真ん中を通ることです(心の中は束帯気分^^)そして参拝後はまた絵馬を奉納してきました。
小笠原流宗家による矢初め
儀式に則って・・・
と今回はこれで鎌倉を発つつもりでしたが、おもいがけず小笠原流の矢初めがあるということでしたので、見学していくことにしました。さすがに伝統ある小笠原流の皆様と小笠原家・御嫡男だけあって威風堂々といたしておりました。またこの日は雪が舞っており、演武される方も大変だったと思います。
北条時房館跡
私は演武終了後は直ちに甘酒でビパークし、次なる地・富士宮へと向いました^^
頭だけの富士山(涙)
さて富士宮ですがその名の通り、街中から富士山を見ることが出来ます。ただこの日は雪のため、雲が富士山にかかっており、ガックリしてしまいました。仕方がないので浅間神宮へ参拝し、富士宮発祥とされる焼きソバを食べることにしました。そしてお店を出ますと・・・
浅間大社
富士宮ヤキソバ
我が願いを天も聞いていただいたのが、三分の二の雲なくなっていました。今回富士山は初めてで一時間ほど富士の雄姿に見惚れていました^^戦国の世、織田信長が富士を見て感嘆したと言いますが、本当に富士は素晴らしい日本を代表する御山ですね^^
おお、富士山!!
富士宮を出た後、少しでも電車賃を削るべく名古屋まで在来線で移動しました^^;そして名古屋まで到着した後、行きつけのお店に行き、味噌カツ定食を食べることとなりました。その後、特急で大阪へと帰り、まずはお正月旅行第一弾は終了いたしました^^
味噌カツでしめ!
お正月旅行②2006年1月8日【出石】
さて東京から帰阪後、余った18切符を消化するためにHaNiWa☆氏とともに出石へと向いました。出石は以前より一度は訪れてみたいお城でしたので、この機会にと選んでみました。
ルートですが姫路まで出て、播但線で豊岡へと向いました。ところが・・・というより当たり前なのですが、播但線に入った途端、雪景色へと変わってきました。私たちの装備はというと思いっきり普段のまま^^;うーん、大丈夫なのか心配になってきました^^;;
雪の豊岡駅
豊岡に着きますと完璧な雪景色でした^^;出石へはここから更にバスで移動しなければいけません。しかし人間ここまで来ると開き直るようで、二人とも異常なテンションで出石へと向うこととなりました。ちなみに豊岡は大石内蔵助の妻・りくの里です。
出石蕎麦
出石蕎麦の薬味
出石といえば有名なのは出石蕎麦です。関西ではうどんが主流なのに何故蕎麦が名物かと言いますと出石藩主であった仙石氏にその理由があります。仙石氏は出石に転封される前は信州上田の藩主で、上田から蕎麦を持ち込んだためです。確かに出石蕎麦は以前信州で食べた蕎麦と同じで、とても美味しかったです^^
出石城
さていよいよ出石城です・・・て、城が雪で埋まっている(涙)裏手からはとても入ることは出来ません。必死に入城する場所を詮索し、ようやく大手門を発見いたしました。しかし普通の装備である我々は滑りながら出石城内へと入り、そこでスケッチすることにいたしました。幸いスケッチを描いている時は雪が止んでいてくれましたので、とてもラッキーでした^^
家老屋敷
時計台
出石城を出てその後は少しばかり城下町を散策し、出石を後にしました。今度はもっとゆっくり時間を取って出石で遊びたいですね^^
お正月旅行③2006年1月9日【京都・大徳寺】
出石旅行の後、まだ18切符が一枚残っていました。この日はさすがにやめておこうかと考えていました。しかしこの日はちょっと嫌なことがあり、家でじっとしているのに耐えられませんでした。そこで京都・大徳寺へと向うことにしました。
大徳寺
大徳寺は後醍醐天皇と関係が深く、そのため足利幕府からは敬遠されていました。そのためこれほどの寺院でありながら五山にも列せられず、在野的な立場を貫いてきました。そのためか一休宗純などの名僧を数多く輩出し、茶道などの日本文化発展に大きく貢献しました。また境内には前田利家婦人が晩年を過ごした芳春院やキリシタン大名の大友宗麟の菩提寺・瑞峰院、千利休の切腹事件に発展した三門など、戦国・安土桃山時代を凝縮したような建築物が数多く建立されています。
龍源院
山門(金毛閣)
三玄院
芳春院
瑞峰院
結局この日は時間が遅く、瑞峰院でのみゆっくりとすることが出来ました。次回は半日かけてのんびりとしたいものです。それだけの価値はあるお寺だと思います。また近くには織田信長を祀った建勲神社もありますので、次回は是非寄ってみたいと思います。
今回は結構強行続きの旅行でしたが、とても楽しく有意義でした。さて次はどこへ行こうかな??

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