三ツ鱗の血脈【二】

  

 二人にとって、はじめての経験であった。

 ーー行くあてを探すのか。

 時行は幼時から誰かに担がれ、戦に敗れるたびに、行くあてを作られて逃げてきた。それを忌んできたのだが、みさくらは、あてを探す面白さを知っていて、時行はその幼い冒険を楽しんだ。

「変な笑い方」

 時行のぎこちない笑い方に、みさくらは胸をときめかせた。

 時行の笑みには邪気がなく、かけがえのない宝物のように思えてならなかったからだ。

 時行も、みさくらといることで気持ちが救われ、二人の間には、ほのかな幸せがただよっていた。

 だが世情はそんな幸せすら二人に与えようとはしない。

 京を出て一月後、将軍の執事・高師直が直義の要請で罷免された。

 翌月には師直が御所巻(将軍邸包囲)を敢行して尊氏に迫り、直義を失脚させた。

 これに反発した直義は兵を挙げて尊氏と合戦して、師直を謀殺した。

 その結果、兄弟は決裂し、世に言う観応の擾乱が勃発したのである。

 ーー会稽の恥を雪ぐ好機だ。

 鎌倉が陥落してから時興は事あるごとに、そう言って北条一党をけしかけてきた。

 会稽とは古代中国の越都で、呉に敗れた越は雌伏の時を経て逆転勝利した。時興は鎌倉を会稽と見立て、呉である足利を斃そうと喧伝していたのである。

 時興が頼みとする諏訪も千載一遇の好機だと見ていた。

 信濃は得宗家の直轄国で、諏訪大社を中心として神党が支配してきた。だが北条が滅び、後醍醐天皇や足利に取り入った小笠原氏が守護として入部し、事態は一変する。

 (まつりごと)は言うまでもなく、伝授してきた諏訪の作法を否定し、小笠原流という我流を押し付けてきたことが、神党の人々には許せなかったのである。その怒りが中先代の乱を引き起こし、そして幾度も時行たち北条一党を助けてきた。

 ーー足利が揺れている今こそ、中先代様に立ち上がっていただかねば。

 大祝をはじめ、神党の人々は熱望したが、肝心の時行が心折れ、放浪していることを知っている。そこで心を和らげることは出来ないかと、みさくらを「使う」ことにしたのであった。

「みさくらは道具ではない」

 頼継はみさくらを憐れみ、守矢神官長など神党の面々に苦言を呈したが、彼らにとって裏切り者の娘はどこまでも道具でしかった。

 ーーいいわ。みさくらを道具と思えばいい。

 まだ知らぬであろうが、諏訪をひっくりかえすような禁忌を犯したことに、みさくらは言い知れぬ快感を覚えていた。

 頼継はまさか二人がそんな関係になっているとは予想だにしなかったが、

 ーー御台が、しげしげと中先代様に侍っている。

 というような噂が流れ始めると、頼継も看過できなくなったのである。

 ーーみさくらに限って色めいたことはあるまい。

 頼継が高を括っていたのは、夫婦となって契り合っても、みさくらが童女のようにあっけらかんとしていたからで、何よりも時行が自分を裏切るとは夢にも思っていなかったからだ。幼い頃から現人神として純粋に育てられた頼継は人を邪推することを知らない。

 ーー戻ってもらわねばならぬ。

 大祝の命は鶴の一声であった。

 みさくらは自分で逃げ先を見つけてきたつもりであったが、すべて諏訪の庇護下にあってのことであった。

 選択肢にない場所は足利の息がかかっており、それ以外は南朝方の勢力圏であった。

 いわば時行たちは諏訪の箱庭で冒険ごっこをしているようなもので、大人が帰ってこいと言えばそれまでであったのだ。

「中先代様。お懐かしゅうございます。今年こそ大神が湖をお渡りになりましょう」

 頼継がそう言ったのは、諏訪の神事・()(わた)り(御神渡り)のことであった。

 極寒の二月、諏訪湖は凍結して割れるのだが、それによって大祝が吉凶を占う。

 氷が張らない状態を、「明けの海」と言って不吉なのだが、北条が滅びる直前から一度も神渡りがない状態が続いていた。

 だが時行が戻ってきた年は年明けから底冷えしており、神渡りがあることが期待されていたのだ。

「あるべき諏訪を戻すが御神慮。さすれば良き北条の世、御先代が復興されましょうぞ」

「頼継殿・・・・・・」

 そう言いかけると頼継は微笑みながら、かぶりを振った。

「頼継ではございませぬ」

 頼継は守矢神官長に一枚の紙を持ってこさせた。そこには「直」と大書されており、頼継は「直頼」に改名したことを告げた。

「お察しの通り、副将軍の偏諱を頂戴いたしました」

「足利は不倶戴天の敵ではなかったのか」

「足利と申すより天下を乱した尊氏が真の逆賊。かの者は臆面なく、副将軍を討つために自身が樹てた朝廷を捨てました。ですが天の日は一つとなり、元号もまた吉野(南朝)の朝廷に統べられました。その尊氏が自ら東国に下向するとのこと」

「・・・・・・敵の敵は味方、であるか」

「はい。中先代様は逆賊を討つ義軍の柱。漫遊の旅も、しまいにしていただかないと」

 直頼は良くも悪くも義に篤い人で、他者にも節度を強要した。それでもなお時行が挙兵をためらったのは集まっている軍勢の資質に危うさを感じていたからである。

 尊氏の降伏で小笠原が動揺し、信濃には同盟をうながす使いが往来している。

 そのひとつが上野を本拠とする新田義貞遺児の義興と義宗兄弟で、後醍醐天皇の皇子・宗良親王を推戴していた。だが亡父が北条を滅ぼしたことから時行の風下に立つことを拒んでいたのである。

 ーー逃げるか。

 すっかりみさくらの影響で逃げる楽しみを知ってしまった時行であったが、事態はそれを許してくれなかった。そんな時行に纐纈(こうけつ)の鎧直垂をまとう精悍な若武者が訪れてきた。

「建武の決起(中先代の乱)で父と祖父に従って馳せ参じた我をお忘れか」

 はじめは思い出せなかったが、やがて若武者の顔つきに面影をたしかめて、声をあげた。

「三浦の荒次郎か」

「家を継ぎ、三浦介高通と名乗っておりまする。亀寿殿、いや、中先代・相模次郎時行殿であられましたな」

「介は、この戦に加わるのか」

「足利は割れ申した。三浦は頼うだる方に味方する」

「頼うだる、か。・・・・・・されど、わしは立たぬぞ」

 ここまで状況が切迫していても、強情な時行に高通は吹き出した。

「負けて逃げて常人ならば死すか、世を捨てたいと願うもの。されど、わしも中先代殿も恩讐を交えた血脈を忘れてはならぬ。名も知らぬ先祖から始まり、我らの身体に、その血が流れている。その血脈を柱にして家来どもが生き、その家来どもが、主のために命を懸けて参った。逃げるということは、死んでいった家来をないがしろにすることだ」

「それは・・・・・・」

「まあ戦に乗り気でないことはわかる。新田の奴輩や太夫四郎殿に口出しされてはな」

「介もそう思うか」

「器でない者が将になると、ろくなことがない。もし中先代殿が将ならば、この戦をいかにする」

「わしなら・・・・・・」

 と、時行はつい胸中の想いを披露してしまった。

 まず総大将にはしかるべき権威を持たさなければならない。ただ自分が得宗であっても滅びた北条には勢威がない。ならば新田が抱える宗良親王を旗頭にするしかないだろう。

「歌詠みと聞くぞ」

「歌詠みであろうと、幼子であろうと、兵は神韻ある旗を求める。その神威を用いなければ勝てぬ」

 高通は感慨深く、うなずいた。

「会いに来てよかった。やはり頼うだるお方じゃ」

「わしは負けてばかり、逃げてばかりじゃぞ」

「それは中先代殿が采配されなかったからじゃ」

「されど叔父上と新田は、わしに采配させぬだろう。絵に描いた餅じゃ」

 それはどうかな、と高通は含みのある笑みを浮かべた。

「ひとまず三浦へ戻る。そして中先代殿に土産を持ってこよう」

「土産?」

「その間、逃げ虫を抑え、己が血脈を裏切らぬよう励みなされ」

 何のことかわからなかったが、時行はただ去っていく高通の背を見送った。

「叔父上はこの戦、いかようになされるおつもりか」

 高通が去ったその日に、時行は時興にたずねてみた。この問いに対する答えに時行は唖然とした。

「いかがいたしたものかのう」

 時興は人をけしかける天才であったが、所詮は騒動屋でしかなかった。蜂起させても集団を制御できず、戦に勝って、どう繋げていくか、戦略がまるでなかったのである。

 ーーやはり、逃げるか。

 そう思ったが、大祝御台に戻って、生気のないみさくらを見て考えが変わった。時行にとってみさくらとの逃避行は宝物で、肌のぬくもりを思い出すたびに何としても守ってやりたかったからだ。

 ーーお前は名将の祖父にそっくりだ。

 祖母が言ったように時行は世を捨てられない性分であり、逆境にあっても立ち上がってしまう「癖」がある。

 ーーわしなら何とかできる。

 幼時であった中先代の乱はともかく、北畠顕家に従った阿倍野の戦いでも、諏訪と立ち上がった信濃の戦いでも、「何とかできる」という思いが、彼を立ち上がらせてきた。それが忌むべき「名将」の器であることを、時行はまだ自覚していない。

 やがて「名将」の力となる高通の土産が時行に届けられた。

 軍勢を指揮するには力を背景にしなければならない。だが時行には脆弱な北条残党しかいなかった。大祝の支援はあるが、諏訪には諏訪の意向があって思い通りにならない。新田兄弟は宗良親王の威光を傘にして、我らこそ大将だと言って憚らなかった。

 だが高通は強力な軍勢を集めて、時行の麾下につくと宣言したのであった。

 足利に不満を持つ豪族たちーー白旗、赤旗、大旗、小旗、小濃、鍬形、母衣、カタバミ、鷹の羽、一文字、平、桔梗といった一揆衆であった。関東において彼らにそっぽを向かれたなら、宗良親王が命じても足利討伐は成り立たない。諏訪はこれを見て高通に同調し、采配は時行の手に委ねられたのであった。

 閏二月。直義と合戦を始めた尊氏の間隙を衝いて、時行たちは兵を挙げた。

「御台。御宝鈴を」

 傍若無人であったみさくらとは別人のように、しとやかな振る舞いで諏訪大社の宝鈴ーー 鉄鐸(さなぎ)の鈴が納められた葛籠を神官長に手渡した。

「長年、明けの海であったが、ようやく諏訪の湖に大神がお渡りになった。天降りし大神とミシャクジの神よ。忠烈の士に御神慮を与え給い、悪逆なる足利尊氏に天誅を加えられよ」

 紅裾濃縅の大鎧、錦の鎧直垂に身を包んだ時行は恭しく拝礼し、佩刀の鯉口を切って、音を鳴らした。金打と呼ばれる誓いの儀式であり、つき従う兵たちも音を鳴らす。

「ここに諏訪大神の御加護を賜った。心を一つにして、いざ戦わん」

 時行の凛然たる言葉に呼応し、士気は高まった。かくして信濃と上野両面から兵が発せられ、足利が守る鎌倉へ押し寄せるのであった。

 時行の決起を聞いて、尊氏は戦慄した。

 駿河で直義勢を打ち破り、東国を平定しようとしている時に、時行たちが決起したのである。

 二兎追う者は一兎を得ずと言うが、状況はまさにそうであった。尊氏はどうするべきか、判断を迫られた。

 ーー鎌倉を死守すべきだ。

 そういう声もあったが、時行勢の攻撃を防いでいる間に、直義が反撃に出ることは必至であり、そうなれば尊氏は滅びてしまう。

 この難局をどう切り抜けるか。尊氏は鎌倉を捨てる決意をした。

 鎌倉を捨てることは東国の主たる資格を失うことだが、戦経験が豊富な尊氏は、守るよりも攻める有利を熟知している。攻守処を変えてしまうことが勝利に繋がると見たのである。

 尊氏が鎌倉を放棄すると、時行は間髪入れずに鎌倉に攻め入った。

 新田兄弟は浮かれていたが、時行は時を移さずに、尊氏の追撃を命じた。いかに戦略的とは言え、尊氏勢は逃げたことで戦意が衰えている。そこを叩かなければ必敗すると時行は見たのである。

 尊氏はひとまず直義討伐を切り上げ、計画通りに兵を集結させて、武蔵に攻め入った。

 時行は武蔵金井原に兵を進め、両軍はここで激突した。激しい戦いになったが、時行は見事な采配で持ちこたえ、背後に回らせた新田勢と挟み撃ちにした。

 これに尊氏は支えきれず、切腹しようとしたが、家臣の諌止で思いとどまって、命からがら脱出したのであった。

 ーー北条時行、恐るべし。

 天下の人々は北条の底力に驚き、時行は「名将」として、その名を轟かせたのであった。

 ーー鎌倉を取り戻した。

 勝利した兵たちは大いに喜び、酒宴を張ったが、時行はそれを冷ややかに見つめていた。

 ーー尊氏は生きている。あの者が生きている限り、何度でも巻き返す。

 それほどのしつこさがあるから幕府を開き、苦境にあっても生きながらえてきたのだ。だが兜の緒を緩めてしまった兵を引き締めるのは至難の業であった。こんな状態で尊氏が反撃に出てくればどうしようもなく、時行は不安をかき消すように、ひたすら般若心経を写し続けている。

 ーーここで父や祖先は天下を治めていたのか。

 時行が本陣とした宝戒寺は、かつて執権館があった場所で、北条鎮魂のために後醍醐天皇が建てさせた。窓からは潮風が吹き込み、庭では竹がさざめいている。懐かしく思うのは穏やかに鎌倉を感じる最後の機会になる予感がしたからであった。

「これからどうなさる」

 半日前に鎌倉入りした高通は、時行が飲んでいた茶を取り上げてたずねた。

「機が熟するまで土倉が銭を貯めるように小さな勝ちを重ねていきたいが・・・・・・」

「新田兄弟が息まいていたな」

 時行は念入りに墨をすりながら、虚しさと恐怖を感じていた。

 鎌倉を手に入れ、尊氏を切腹寸前まで追いつめたが、それが兵たちを傲慢にさせた。足利恐れるに足りずと侮り、抜け駆けをしようという空気まで生まれている。

「生涯の思い出にして鎌倉を捨てようか」

「それもいいが、左様なことをすれば屍の山を築くだけだ」

 時行は己の力不足が地獄を招かんとしていることに、自嘲せざるをえなかった。高通は三十六計打つ手なし、と手にした茶碗を庭の石に投げつけて粉砕した。

 時行の懸念は的中した。

 新田兄弟が追い打ちをかけると称して独走したのである。

 さらに時行を落胆させたのは、北条一党が暴走したことであった。

 時行でも諏訪の采配でもなく、立役者は自分だと誇示する時興の独断であった。

 新田は敗れ、時興にいたっては負けただけでなく、勢いを得た足利を鎌倉に引き入れるという大失態を犯してしまったのである。烏合の衆は一度負けてしまうと歯止めがきかず、無様に瓦解していった。

「中先代様、退去なされませ」

 血相を変えてやってきたのは、直頼であった。

「三浦はどうした?」

 時行がたずねると、もうどこにもいないとのことであった。

 ーーわしより逃げ足が早い。

 不思議と高通への怒りはなく、らしいと可笑しくなっただけであった。高通にすれば、三浦を生かすための参陣であり、滅びる戦いから逃げるのが当然であったからである。

「大祝殿。北条の運は尽きた。御台殿と諏訪に戻られて時行を見捨てられよ」

「何を申される。得宗家あっての諏訪。父や祖父も命を懸けて馳走いたしました。何よりそれがしと、みさくらは幼きころからの友垣ではござらぬか」

 直頼の発した「友垣」という言葉は、夢心地であったみさくらとの日々を罪悪感あるものにした。

 ーーそうだ、わしとみさくらは友垣を裏切ったのだ。

 諏訪大神の罰を時行は恐れていない。それどころか世の中に抗することで復讐を果たせた気持ちから高揚感で満たされていた。だが直頼はどこまでも自分たちを信じていて、その情愛が時行に激しい後悔を抱かせたのである。

 ーー何ということをしたのだ。

 様々なもの、祖母にすら追い払われた自分を直頼はかくまってくれた。信仰のためもあっただろうが、数少ない友のために直頼はあらゆるものから守ってくれていたのだ。

「中先代様に、お願いしたいことがござる」

 直頼はそう言うと、諏訪に残してきたはずのみさくらを引き合わせた。

「なぜ鎌倉に連れてこれられた」

「諏訪にみさくらの居場所はござらぬ。大祝御台という虚無な位が、みさくらの座する場所。それゆえ諏訪に残しておけませなんだ」

 そう言うと、直頼は深く頭を下げた。

「戦に負けた以上、しばらくは、それがしも諏訪には戻れませぬ。みさくらも御神慮を足利に呉れてしまった藤澤の姫じゃと辛い目に遭いましょう。それにーー」

 時行には逃げてもらわねばならず、藤澤の所領がある奥伊那へ案内するよう、みさくらに申し付けた。

「たがいに生き延びましょう。足利を斃し、小笠原の無道を成敗して、三人で諏訪の湖を愛でるのです」

 直頼の笑みは恐ろしく純粋で、時行は息を呑んだが、躊躇している暇はなかった。迫りくる足利から逃れ、時行たちは鎌倉を後にした。

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