大坂の陣合戦祭2014
2014年10月19日
【画像提供】楠木正勝殿/片矢木様/鹿殿/戦国魂様







【序章】
「大阪城で何かやりたい」
この想いは私だけでなく、多くの現代武者のものではなかったかと思います。お城を舞台に大合戦が行われたのは大坂だけですし、戦国最後の戦いですので、やりたくないと思う人は少ないのではないでしょうか?
ですが昨年の中ごろまでこの夢は実現不可能でした。
ここでは書けませんし、何年か活動されている武者の方はご存知ですが、まあ色々ありましてとても出来る状態ではなかったのです。
ところが。
様々な条件が重なり、大坂の陣イベントに参画するチャンスが巡ってきたのです。
このチャンスを運んでいただきましたのは戦国魂の鈴木さん。
戦国魂さんは起業して今年で十年。奇しくも甲援隊設立と同じ年に活動を始められたのです。
太秦戦国まつりでご一緒させていただきましたが、その後はご一緒する機会が少なく、それぞれの道を進んで参りました。
もし十年前にこのお話があったとしても双方および武者の方全体を見渡しても実行不可能でありました。
色んな環境を乗り越え、そして互いに研鑽し合った昨年。
大坂の陣をテーマにしたイベントに参画する―そんな夢のような話がついに舞い込んできたのです。
お受けするにあたって、当初から留意していた点があります。
それは大坂の陣を甲援隊のみのイベントにしないこと。大坂の陣をやりたい、大阪城、大阪が好きという武者の方と一緒に盛り上げる。それが私の絶対条件でした。
甲援隊の役目は取りまとめ。もちろん滅私奉公といったカッコウつけはする気はありませんでした。甲援隊も含む有志の武者たちで大坂の陣を盛り上げる、これが私の思い描く形でした。
とにもかくにも2013年。大坂の陣に向けて私たちはスタートしたのでした。
【幸村博と大坂の陣】
「幸村博と大坂の陣の違いがわからない」
といった疑問の声は山ほどありました。
はい。それは仕方のないこと。私もよく理解していなかったのですから^^;
違いですが、結構直前になって整理いたしました。
幸村博はその名の通り、真田幸村を主人公とした大坂の陣イベント。開催場所は天王寺区です。
私の中では幸村博はどちらかと言えばエンターティメント性を高めようと考えていました。
大坂の陣合戦祭は大坂の陣をテーマとし、大坂城攻防絵巻を再現したいと考えていました。ただ大坂が滅びておしまいということは嫌でしたし、私の性格上、哀悼でイベントを締めくくりたくはありませんでした。そこで「次なる四百年」をテーマにしたいと考えたのです。
ちなみにこれは私事ですが、2014年に朝日時代小説大賞にて私の作品『大坂誕生』が優秀作に選ばれました。
『大坂誕生』は大坂の陣終了後に城主となった松平忠明公を主人公とした大坂復興のお話なんですが、まあシナリオ担当の強みを生かして、知名度が限りなく低い忠明公と、現代に繋がる大坂をPR出来ればと思い「次なる四百年」というキーワードを考え出してみました。
【とにかくやりきらねば!】
私と鈴木さんを苦しめましたのは、とにかく予算がないこと。
それでも鈴木さんは自腹を切りながら血を吐くように可能な限り、予算を獲得されたのですが、終始予算不足に泣かされました。
そのため随分と甲援隊士や参加武者の方には無理を強いてきました。ですが、文句一つ仰られず、懸命に練習会に参加され、私の無茶ぶりにも涙を流しながら応えていただきました^^;
弱音を吐いちゃダメなんですが(オフでは結構吐いてたけど^^;)、秀頼甲冑製作など鈴木さんほどではないですが、可能な限りは頑張ってきたつもりです^^
ですがご協力いただきました皆さんの情熱が私を励まし、そして厳しい条件の中、あのようなビックイベントを飾る合戦絵巻を再現出来たのだと思います。
結局私がやったことは甲冑作りと、ムチャぶりしたぐらいのもので、感謝しか言葉が出てきません。
厳しい条件でありましたが、やりきったことで、来年以降への扉が開けたと確信しております。
【幸村博プレ】
何が一番大変だったのか。
それは駐車場や会場から突きつけられる条件でした^^;
いつの頃からか、大阪という街は公共精神が乏しくなっており、他に比べてイベントが成功しない、或いは続かない、そしてイベントを契機に街を発展させていくことが出来ませんでした。
今回のもっとも大きな弊害はまさにそれで、終始、鈴木さんはひーひー言われながら、戦ってこられました。
もちろん武者部門にもその嵐が襲って参りまして、気分的にはスーパーマリオをやっているようでした^^;
キノコだと思ったら実は毒キノコだったり、予想以上にクッパが強かったりなど(何の話やねん^^;)・・・とまあ、色々と大変だったのですが、その都度鈴木さんや、隊のメンバー、そして蹴鞠さんや毘毘さんをはじめとする主要メンバーに助けていただき、ゲームオーバーすることなく突き進むことが出来ました。
さて幸村博プレイベントですが、天王寺公園にて開催されました。
中々特殊な舞台状況でしたが、却ってそれが面白みとなりました。
「プレ」ということで、幸村公が大坂入りするところまでを演出してみました。
このプレでウケたのは「十四歳」の大助公役をされた富楠さん、台詞を忘れたことを見事逆手に取られた左馬さん、そして武者たちのボケと罵声(?)を受け止められた家康公役の蹴鞠さん、見事な殺陣をご披露されました羽々斬さんでした。
結果的に申しますと、幸村博の経験が大坂の陣合戦祭に大きく貢献をいたしました。
ちなみにお天気ですが、前日および当日は見事な晴天。ですが翌日は思いっきり雨天でした^^














【指が痺れ、肌が荒れ^^;】
さていよいよ大坂の陣です。
幸村博では秀頼公には私の甲冑を着用していただきました。ですが今後のことも考え、秀頼公専用の甲冑を作ろうと考えました。
実は大坂の陣の準備で一番大変だったのはこの甲冑作りでした^^;
モデルは東京国立博物館収蔵の秀頼公の腹巻。
腹巻ですと着付けや運搬が不便だと考え、あえて二枚胴にしました。
切付小札だし、兜もないからラクかな、と当初考えていたのですが・・・実際に作業を始めますと、可能な限り凝ってしまい、完成したのは大坂の陣開催の二日前でした^^;;
一ヶ月ほどは毎日睡眠四時間。休みは終日作り続けました^^;
指は痺れ、肌は荒れ、リバウンドと死闘を繰り広げながら、ひたすら作り続けました。
ですが何とか納得のいく作品が完成し、無事本番に間に合わせることが出来ました。
ちなみに。
本番で秀頼公の最期に観客および参加者の型が涙していた頃。私も涙していました。無事に仕上がった甲冑を纏った知盛さんのお姿を観て^^;
もう陽光に照らされた金札が美しくて最高でした^^
【嵐の練習会】
幸村博でもそうでしたが、一番心配だったのはとにかく練習。
果たして上手くいくのか―正直なところ心配でした。今回は今までとは違い、ストーリーがあり、そして混合部隊です。息を合わせるためには必要なのはとにかく練習だけでした。
ですが練習に当てられる時間も場所も限られており、その中でどう効率よく出来るかが最大の課題でした。
幸村博で得た最大の経験は本番ではなく、事前練習でした。
限られた時間における効率的な方法は何か。
今回得た答えはとにかくリハを何度も繰り返すことでした。時間があり、人員が常に揃っているようでしたら、もっと決め細やかなことが出来たかもしれません。ですが、参加者の皆さんは私を含めて劇団ではなく一般の社会人です。また住んでいる場所もバラバラで全員集合など不可能でした。
とにもかくにもリハ、リハ、リハの繰り返しです。
練習会で肝に銘じていたことは当日は練習出来ないと考えておくことでした。
当日はそれこそ準備や案内やらであっという間に過ぎ去ってしまいます。これは今まで得た体験からわかっておりましたので、とにかく前日練習までに出来ることはやり、考えうる限り効率的にしようと心掛けておりました。
ところが。
大坂の陣の練習会で思わぬ障害が。
台風上陸されてしまったのです。いや、もう本当に泣きそうになりました^^;
一番最悪なのは練習はしたけど本番が出来なかったではなく、練習が出来ず本番を迎えること。
とにかく出来うる限り風雨が弱まってくれることを祈りながら、練習会の日がやって参りました。
結果はまあ、台風は上陸してしまいましたが、参加者の方が気合を入れて練習に来ていただきました。そのおかげで乱戦の段取りは掴めましたし、それなりの形にはなりました。また未だに蹴鞠さんの淀殿の声が脳裏に焼きつくなどちょっとした後遺症(?)が残っております^^;
練習会ですが前日も無事催すことが出来ました。
ただ前日は余裕がなく、食事抜きのリハ連続。
心内では申し訳ないと思っていたのですが、どう考えてもリハをしないとどうしようもないと考え、強行突破させていただきましたm_m
とにもかくにもハードな条件を皆さんが黙々とこなしてこられ、無事当日を迎えることが出来ました。
【本日ハ晴天ナリ】
さて開催日の18日、ならびに19日ですが、どちらも文句なしの晴天でした。気温も低めで最高の二日間でした。
18日ですが、私は仕事のため、9時までご案内をさせていただき、店へ戻ることに。
よりによってこの日は父が名古屋へ行っておりましたので、店をずっと抜ける訳にはいかず、16:30まで営業しておりました。
おかげさまで自転車1台が売れたのですが・・・その間、富楠さんに取りまとめをお願いいたしており、安心して仕事させていただきました。
そして店を早仕舞いをして阿倍野へ。
そのまま練習会に突入です。
この日は知盛さんを自宅にお停めしまして、わずかな時間ながら旧交を温めることに。
今回、私の構想では是が非でも知盛さんに秀頼役を演じていただきたく、かなり強引にお呼びいたしました^^
と、時間は恐ろしいまでに早く過ぎ去り、いよいよ当日です。
大阪城でイベントがやれる!
今までにないようなテンションの高まりを感じておりました。
荷物を搬入し、マイクテストおよび舞台のチェックの時間がやって参りました。
ちょっとまあ、ここで色々とあったのですが・・・隊のメンバーや援軍山さんのサポートのおかげで何とか乗り越えることが出来ました^^;
当初計画しておりまし人員を整理し、全体リハの時間です。
実はここからが私にとっての最大の難関でありました。
何しろ当日参加、ならびに甲冑イベント未経験の方に合戦方法をお教えしなくてはいけなかったからです。しかもその時間は1時間強ほど。
ポイントは二つありました。
一つはケガをしないようにすること。
一つはわかりやすいこと。
私自身、あまり合戦劇の経験がありませんでしたが、石和や津での見聞をもとに色々と考察してみました。
まず動作を決めてしまうことです。単純な動作を決めてしまい、合図と共にやっていただく。
そして危険な行動、決められた行動以外はしないことを徹底させることでした。
とにもかくにもイメージしましたのは私自身が物分りの悪い素人気分になってみました^^
限られた時間内で一致団結するにはどうしたらいいか・・・結局、ちょっとした軍隊教練みたいになってしまいました^^;
号令に従って決められた行動をする。その繰り返しに全てを注ぎ込みました。
結果はいずれもレベルの高い方ばかりが参加されていたのか、驚くほど素晴らしい乱戦を演じられました。
リハが無事に終わった頃、このイベントは90%成功だという確信を私は得ておりました。
当日の朝ですが、もう文句なしの快晴。
気候も問題なしで、私はもちろん、鈴木さんや関係者の方の努力を天が褒めていただいたのではないかと思えたほどです。
テンションはもちろんハイ。
早速主要メンバーと共にマイクテストです。
気持ちは高まっていましたが、不安材料がなしではなかったです。
一番心配であったのは乱戦。
何しろこの日のみ参加される方ばかりで、多くは初対面であり、そして初心者の方ばかり。
その方たちをいかにわかりやすく乱戦をしていただけるかが勝負でした。
実を言えば乱戦の指導は今回が初めての経験。もちろん石和や津などで乱戦を経験または見学をいたことはありますが、主導したことはありません。
考えうる限りの準備や想定はしておりましたが、不安でいっぱいでした。
もう一つは某団体との兼ね合い。
色々と経験されているらしいのですが、とにかく自己主張が激しく、合わせていただけない。挙句の果てには暴言を吐かれる始末^^;
ただでさえ初乱戦で大変な時に、私の気持ちは奈落の底へ落ちそうでした。
ですが、ここで助け舟を出していただいたのが援軍山さんや豊国神社さんで、彼らとは別に行動することで話が着きました。
この時、どうしようもないほどテンションが下がっており、自分でも困り果てていたのですが、一転してハイテンションに。
参加者も揃い、正念場のリハーサル開始です。
リハーサルが行われたのは大手門前で設営されていた自衛隊さんたちの駐屯地。
そこでメガホン持ってリハ開始です。
乱戦で心がけたのは次のポイント。
一つ。簡単な動作を繰り返すこと。
まず号令で進み出て、敵と会えば声を挙げる。そして三度槍を合わせる。終わればまた声を上げ、同じ動作を繰り返す。再び号令があれば戻るといった手順です。
一つ。安全性を最優先。
槍は必ず上に向け、突き刺さない。また決められた行動以外は禁止。
一つ。決めれらた動作の徹底練習。
声の挙げ方、隊列の組み方、そして立ち位置を単純化し、覚えていただくことに心血を注ぎました。
もっと凝ったことを・・・という声があるかもしれません。
ですが、上記のことでも私は厳しいとさえ考えていました。
先述したように乱戦部隊の方は初対面であり、中には合戦劇どころか甲冑体験も初めての方が大勢いらっしゃいます。
これは十年間に亘る武者活動で学び得たことですが、色々と難しいことをやってすべて中途半端にするよりも単純なことを可能な限り完璧にしていくことの方が大切だということです。
昨年まで七回開催しました松屋町春の陣ですが、結果的には町にはほとんど何も残らないイベントでありました。ですが、七年間で実施した出陣式や最大75名の武者行列を指揮させていただいた経験が、大坂の陣合戦祭で活きて参りました^^
まさにこの十年間がなければあのような大舞台を担当することは不可能だと実感しております。
と、結果的にどうなったのかと言いますと・・・予想以上に素晴らしい状態になりました。
その理由は私の指導力よりも参加された方、またサポートしていただきました隊士、そして主要メンバーの方が一致団結して協力されたからで、わずか1時間ほどで全員の息が合いました。
リハも無事終え、一旦ブースへ帰ることに。
水分をしっかりと補給し、小時間ながら休憩をいたしました。
やがて刻限が迫り、整列して大手門へ。
大手門で隊列を整え、いざ出陣です。
リハで練習した掛け声で、勇ましく西の丸庭園会場へと進んでいきます。
































豊臣秀頼 平知盛 淀殿 116 真田信繁(幸村) 羽々斬 真田大助 富楠 本多忠朝 羽々斬 井伊直孝 羽々斬 徳川勢 羽々斬 毛利勝永 毘毘 後藤又兵衛(殺陣) 真下 黒田長政 忠 徳川家康 蹴鞠 徳川秀忠 兼虎 金地院崇伝 黒入道羅生 松平忠明 ケン ●豊臣 主将/第一陣指揮(薄田隼人正) 一海 第二陣指揮(大野治長) 高橋 明石全登 正臣 木村重成 藤吉郎 ●徳川 主将/第一陣指揮(蜂須賀家政) 迷之介 第二陣指揮(片桐且元) 鹿 島津家久 霜台 藤堂高虎 三光烈火 前田利常 こばっち 淀殿侍女 きのこ きく 芳野 太鼓 矢舞 太鼓補佐 りい |
(効果音)大砲、鉄砲 (琵琶)演奏の中、きく登場。 きく「はるか…はるか昔。ここ大坂の地にて大きな戦(いくさ)がござりました」 きく、ゆっくりと何事かを思い出しながら歩き、静かに冊子をめくる。 きく「幾筋の涙が流れたことでしょう…。幾多の命が散ったのでしょう・・・。本日はこのきくが見聞きした戦・・・後に大坂の陣と呼ばれた戦についてお話いたしとうござりまする」 (効果音)鉄砲、馬のいななき きく、恐れおののく仕草で武者登場口を凝視する。 太鼓演奏ここからスタート 本多忠朝「はははは!」 本多、走りながら登場。きく、驚いて定位置に。 本多、酒を呑む。 本多「おおっと、いかん。いよいよ最後の大戦ぞ。酒は慎まねば」 本多、瓢箪を仕舞う。 本多「惣堀を埋めた以上、もはや大坂城も裸城よ。徳川家万歳のため、今一度命を懸けるのじゃッ」 本多、舞台より降りる。 |



























【1】先駆:乱戦 ※両軍同時 乱戦隊長「かかれ!」「いざ!」※アドリブ 隊長、手を挙げる 武連「おーーー」 ※明石の台詞終了まで乱戦。台詞終了後、駆け抜け、定位置へ。その場所で声を挙げ続ける。 【2】第一陣乱戦 明石(豊臣)「おのれ、徳川めッ。神デウスに代わってこの明石全登が天罰を与えてみせようぞ。かかれぃッ」 ※島津の台詞終了まで乱戦。台詞終了後、駆け抜け、第二陣の後詰。 ※そのまま二度目の乱戦、駆け抜け、定位置へ。 【3】第二陣乱戦 島津(徳川)「者共、薩摩隼人の力、今こそ示す時。泣こかい、翔ぼかい、泣こよか、ひっ翔べ、チェストォォ」 ※乱戦後、駆け抜け、舞台裏を駆け抜け、第一陣の後詰。 ※そのまま二度目の乱戦、駆け抜け、定位置へ。 【4】指定位置へ撤収 |
毛利、追われながら登場。 毛利「城なき今、命を惜しまず、名こそ惜しまんッ。この毛利勝永、戦鬼と化して秀頼君の御前(おんまえ)にてこの命、捧げんッ」 |
秀頼、淀殿を守りながら、登場。毛利、控える。 ※大野、明石、長宗我部、秀頼を守りながら登場。 秀頼「母君、大事ござりませぬか?」 淀殿(涙声で)「だ、大事ない・・・」 毛利「秀頼君ッ」 秀頼「おお、毛利か」 毛利「豊家(ほうけ)の御名(おんな)を未来永劫に伝えんがため、是非、是非、御出馬いただきますようお願いいたしまする」 秀頼「あいわかった」 淀殿「待ちゃれッ。秀頼君は天下を率いる大事なる御身ぞ。軽々しく戦場(いくさば)に出るなど言語道断。沙汰の限りじゃ」 毛利「・・・致し方ござりませぬ。御意に従いましょう。秀頼君、大方様。我らの命、捧げまする」 大野「方々参ろうぞッ」 三武将、互いに「おう」と返事し、舞台下へ。乱戦準備。 秀頼、淀殿を抱えながら退場。 (舞台前) ●乱戦2回目 【1】先駆:乱戦 ※両軍同時 乱戦隊長「かかれ!」「いざ!」※アドリブ 隊長、手を挙げる 武連「おーーー」 ※藤堂の台詞終了まで乱戦。台詞終了後、駆け抜け、定位置へ。その場所で声を挙げ続ける。 【2】第一陣乱戦 藤堂(徳川)「来たのう、時代遅れどもが。万世のために泰平を開くは徳川家なるぞ。泰平の世のため、武士(もののふ)どもよ、突き進めッ」 ※長宗我部の台詞終了まで乱戦。台詞終了後、駆け抜け、第二陣の後詰。 ※そのまま二度目の乱戦、駆け抜け、定位置へ。 【3】第二陣乱戦 長宗我部「土佐の地に眠りし長宗我部家の御霊(みたま)よ。今一度天下に長宗我部ありと、この名、響かせましょうぞ。皆の者、参るぞッ」 ※乱戦後、駆け抜け、舞台裏を駆け抜け、第一陣の後詰。 ※そのまま二度目の乱戦、駆け抜け、定位置へ。 【4】指定位置へ撤収 煙幕 毛利、再登場 毛利「おのれ、霧で何も見えぬッ」 黒田「敵将、見つけたり。黒田長政の太刀、しかと受けてみよッ」 (殺陣10秒)毛利、敗れかける。 後藤颯爽と現れる。 後藤「後藤又兵衛、推参ッ・・・む? これは長政様ではござりませぬか」 黒田「そういうそなたは又兵衛」 後藤「かつての主なれど戦場では容赦せぬが礼儀。我が刃で討たれましても、お恨みあるな」 黒田「笑止千万。今日こそそなたに引導を渡してくれる。覚悟せよッ」 (殺陣30秒)又兵衛勝利。 後藤「殿、お覚悟」 後藤、躊躇。 羽々斬:徳川勢、後藤に集中攻撃。 毛利、黒田に向かいながら後藤を介抱。 徳川勢、なおも追い討ち。 (舞台際) 毛利「もはやこれまで。かえすがえすも無念は、かくも霧が濃くなるとは・・・。この霧さえなければお味方も間に合ったものの」 後藤「ははは。これも天命でござるよ。勝永殿」 後藤、黒田を見つめる 「・・・殿、さらばでござる」 後藤笑いながら退場。 黒田「又兵衛・・・又兵衛ーーーーー」 叫びながら退場。 家康と徳川勢登場。 本多「大御所様、天守まであと一息でござりまするな」 家康「うむ。はははは。これで良い、これで良い」 徳川勢、大笑いする。 金地院崇伝「大御所様、勝鬨をなされませ」 家康「崇伝、よくぞ申した」 秀忠「父上ッ」 家康「うむ」 徳川勢、勝鬨。 煙幕 戦況を見つめる幸村。 大助「父上・・・。聞き及びまするに・・・秀頼君の御出馬、叶わぬとの由」 真田「左様か・・・」 真田(何かを決意したように)「大助」 大助「はっ」 真田「そなたはこれより城へ戻り、秀頼君をお守りせよ」 大助「何を仰せにられまする。最期まで・・・最期まで父上と共に戦いまする」 真田「たわけッ。賊を防ぎ、君を守るもまた大事なる務めぞ。ないがしろにするでないッ」 大助、涙をこらえ立ちつくす「・・・・・・。」 真田(優しく)「ははは・・・。大助よ。暫しの別れではないか。父は老賊の首を討つ。そなたは君(きみ)を守るのだ。やがて再び地下で会うことが出来よう。真田の名を青史(せいし)に残そうぞ」 大助頷き、泣きながら城へ向かって走る。 真田、大助を見送った後、正面を向き決意。 「狙うは―家康が首、ただ一つ」 真田、槍を頭上で回転。 「諏訪大明神、我に力を与えたまえッ」 蹴散らされた徳川勢、再び舞台に。 家康、軍勢の中から登場。 家康「おのれぇぇぇ、真田の小童ッ、どこまでも邪魔立てしおって・・・」 家康配下、家康を守る。 真田、徳川勢を睥睨し、徳川勢一歩引く。 真田「遠からん者はその耳で聞けィ。近からん者はその眼(まなこ)でしかと見よ。我こそはーー真田信繁なりッ」 真田、槍を振り回し大笑いする。 真田「ははははは。さてもさても―。御敵(おんてき)に一人の男子(おのこ)なし。己(おの)が胸中に一寸の勇(ゆう)あらば、この信繁に刃(やいば)を向けてみよ。おらぬのか、おらぬのか。徳川には命を惜しまず名を惜しむ武士(もののふ)は誰もおらぬのか?」 殺陣(3分) 真田(勝)対本多(負) 真田(勝)対徳川多数(何度も蘇る) 真田、家康近習を蹴散らす。 家康、巧みに槍を掴むが、真田に振り払われる。 真田「家康、冥途の土産にそなたの首を貰い受ける。覚悟は良いか」 家康「あと一歩で天下の泰平を勝ち得たと申すに・・・。真田如きに我が大望を阻まれようとは・・・無念、無念じゃッ」 秀忠「父上ーーー」 真田がとどめを刺そうとした瞬間、本多が庇い、討ち死に。 家康「忠朝、忠朝ーーーー・・・・・・」 真田「邪魔立ていたすな!」 止めを刺そうとした瞬間、井伊が登場。 井伊「井伊掃部頭(かもんのかみ)直孝、参る」 真田「直政の倅かッ」 殺陣(15秒) 疲れ果てた真田、適わず。 真田槍を杖に息を乱す。 真田「はあはあ。何とも・・・運の良い奴。赤鬼の血を引くものか否か―我が最期の力にて、しかと見極めてみせようぞ」 殺陣(30秒) 井伊、勝利。 徳川勢にめった刺しにされる。 真田「よう・・・よう戦うた。我が生涯に・・・一片の悔いもなし」 真田、拳を天に挙げる。 徳川勢、再び刀でめった刺しにしながら真田と共に退場。 煙幕 家康、秀忠の肩に掴まり「危ういところであった。もはやあのような武者は世に現れまいて・・・」 家康、側近たちに支えられながら退場。 煙幕 (舞台前) ●乱戦3回目 |
【1】先駆:乱戦 ※両軍同時 乱戦隊長(豊臣)「踏み止まれ!」 乱戦隊長(徳川)「あと一息ぞ!」 各隊長、手を挙げる 武連「おーーー」 ※前田の台詞終了まで乱戦。台詞終了後、豊臣方が逃げ、徳川追いかける。舞台裏へ行き、定位置に戻る。 【2】第一陣乱戦 前田「もはやこれまでだな。せめて前田家が豊臣家を介錯するがご恩顧に応える道・・・。進めッ」 ※木村の台詞終了まで乱戦。豊臣方が逃げ、徳川追いかける。 ■徳川方雑兵/徳川方武将 豊臣を追いかけ、そのまま二回目の激突。 ■豊臣方雑兵 徳川に追われ、後退。舞台裏に移動時、徳川旗を持ち替え、徳川方として豊臣方を追い討ちをかける。 ■豊臣方武将 最後までその場で踏み止まり、最後の軍に追われながら舞台裏へ 【3】第二陣乱戦 木村「我こそは木村長門守重成。者共、天下に豊臣の名を示さんがため、命を惜しむな、名こそ惜しめッ」 ※板崎の台詞終了まで乱戦。豊臣方が逃げ、徳川追いかける。 ■徳川方雑兵/徳川方武将 豊臣を追いかけ、そのまま二回目の激突。 ■豊臣方雑兵 徳川に追われ、後退。舞台裏に移動時、徳川旗を持ち替え、徳川方として豊臣方を追い討ちをかける。 ■豊臣方武将 最後までその場で踏み止まり、最後の軍に追われながら舞台裏へ きく(na)「時は過ぎ、戦いに戦い抜いた方々は次々と討ち死に。荘厳であった天守閣も焼け落ち、追い詰められた秀頼君と淀の方様は山里郭へとその身を寄せたのでござりまする」 秀頼、淀殿を支えながら二人のみ登場。 秀頼「母上、母上」 淀殿「秀頼・・・秀頼」 秀頼、周囲を見回す。 秀頼「周りは敵だらけ。もはやこれまでにござりまする」 淀殿「何を申す。まだ、まだ・・・」 秀頼「いいえ・・・」 秀頼立ち上がる。 秀頼「豊臣恩顧の者たちはことごとく討ち死に。城もここ山里郭を残すのみ。これ以上逃げ延びるは武門の恥というものでござりましょう」 淀殿(力ない声で)「・・・秀頼・・・」 秀頼「は・・・」 淀殿「妾(わらわ)は間違っていた」 秀頼「何を仰せか」 淀殿「妾は夢を見た。太閤殿下は仰せであった。大坂はきっとこの世すべてを繋ぐ要になると・・・。その夢をそなたにしかと遺してやりたい―そんな夢をこの母が抱いたばかりにそなたを地獄の道へと誘い込んでしもうた。愚かな母を許してたもれ・・・すまぬ、すまぬ・・・」 秀頼(笑顔で)「ご案じなさりまするな。父上と母上がご覧になられた夢はしかとこの身体(からだ)に流れておりまする。その夢と共に冥途へ参りましょう、母上。それに・・・」 秀頼、大きく観客を見渡す。 秀頼「豊臣は滅びましょう。・・・しかし太閤秀吉公が開かれたこの大坂は我らが滅びても、変わることなく栄え続けましょう。きっと百年、二百年・・・いや四百年と、大坂に住まう者たちが育んで参りましょう」 淀殿「四百年・・・」 秀頼「はい。きっと・・・」 淀殿「そうじゃな。きっと大坂に住まいし者たちが我らの夢を紡いでくれよう・・・。きっと、きっと・・・」 秀頼、ゆっくりと扇を広げる。 秀頼「この秀頼、更なる大坂の興隆を祈り、命と共に、ひとさし舞を献じましょう。新たに大坂が開く門出を祝って・・・」 琵琶演奏 秀頼、剣舞または扇舞(1分) ラストは扇から紙吹雪を舞わす。 左右から雑兵たちが旗で幕を引き、煙幕。 その間、秀頼親子退場。 きく(na)「慶長二十年夏。こうして豊臣家は滅び、百年以上続いた戦乱の世に幕が降りたのでござりまする」 家康、忠明、舞台に登場。 家康「終わったのう・・・。終わったのう」 家康、目頭を押さえる。 家康「以って万世(ばんせい)のために泰平を開かんと欲するための戦であったが・・・。忠明(ただあきら)よ」 忠明「はっ」 家康「我らは豊臣を滅ぼした。だが・・・大坂は滅ぼしてはならぬ」 忠明「はっ」 家康「そこでお許(こと)に大坂の守護職を任ずる」 忠明「はっ」 家康、手にした鞭を手渡す。 家康「これは長年わしが愛用し続けた寒竹(かんちく)の鞭。それをもって見事大坂を復興せしめよ」 忠明、鞭に拝礼。一歩前へ。 忠明「この松平忠明、身命を賭して百年、二百年、いや四百年と続く大坂を築いてみせまする」 甲冑武者たち、舞台と舞台前に全員集合。 家康「大坂の更なる興隆を祈って勝鬨じゃ!」 真田「我らの志が永遠(とわ)に続かんことを!」 秀頼「皆と共に更なる四百年の繁栄を目指して!」 薄田、アドリブで勝鬨の説明。 忠明「勝鬨じゃ!」 一回目:家康 二回目:真田 三回目:秀頼 忠明「いざ!!」 退場。 琵琶演奏 きく、立ち上がる。 きく「さらなる四百年。大坂か栄えるか否かは―ここに集いし皆様方、そして大坂に住まう方々次第。しかしわたくしは信じておりまする。きっときっと素晴らしき大坂を築き続けてくれるものと信じまする」 きく、一礼し退場。 |













会場を進み、いざステージへ。
ステージに入りますと、顔見せも兼ねてぐるっと観客の方の前を行軍。
粛然と陣形を整えます。
そしていよいよ舞台開始です。
ここまで来ればあとは皆さんにお任せするだけ。私は本番中は乱戦指導以外は楽しく拝見させていただいておりました^^
さてシナリオについてです。
シナリオを執筆するにあたって心がけたのは次のポイントです。
1:バットエンドにしない。
大坂の陣は豊臣家滅亡です。ですのでバットエンドです。もちろん意味なくハッピーエンドにするつもりはありませんでした。
当初からあったのは「次なる四百年」。
現代の大阪の基は実は大坂の陣後の大坂復興にあります。もちろんその原型は太閤さんでありますが、町人たちが中心となる大坂は四百年前に始まるのです。
十年間の活動で抱いてきた私の不満なんですが、とにかく大阪でイベントを契機に町おこしをしたくとも出来ないことにありました。その原因はかつて大坂人が持っていた「自分たちの街は自分たちで作っていく、守っていく」という精神が極めて弱くなっていることだと感じています。
「イベントなんてやっても損や」「補助金くれ」「誰かうちの街盛り上げてくれ」「行政金出せ、人出せ、アイデア出せ」といった声や雰囲気があり、がっかりきておりました。
かつて天下の台所と呼ばれ、日本の商都であった大阪を盛り上げ、そして次なる四百年に繋げたい―それがこのシナリオに込めた想いでした。
そのため極めて知名度が低い松平忠明公をラストに出させていただきました。
・・・もっとも私のデビュー作『大坂誕生』の主人公をばっちり出演させたかったのですが^^;
とにもかくにも次の時代へ繋ぐ、という重要な忠明公役にケンくんを選抜しましたのは、私の想いがあったからです^^
某大尉(大佐)の台詞にありますように新しい時代を造るのは老人ではないのです^^
2:それぞれの特技
中枢には特技をお持ちの方を起用させていただきました。
●秀頼公:まさにキーポイントです。知盛さんにはあの手この手で強引に来ていただきました^^;ですが、秀頼公を演じられる・・・いや演じていただきたいのは知盛さんだけでした。
結果は・・・もう感動ですよ^^
甲冑製作しんどかったという思いもあったのですが、陽光に煌く秀頼公を見て感激しておりました^^
●淀殿:幸村博からの続投で116さんに。・・・彼女、めっちゃ凄かったですね^^淀殿が憑依しているかのように迫真の演技をされておりました!
●家康公:笑い担当・・・ではないですよ^^蹴鞠さんの家康は万華鏡のようで、愛嬌のある(?)悪役だけでなく、ラストは大坂を想い、託された名君も演じていただきました^^
●大助公:よくよく考えてみれば富楠さんは私と同じ歳だった・・・なんてことを忘れてしまうほど(?)若々しい大助役を演じていただきました^^
●羽々斬さん:今回も素晴らしい殺陣でした。幸村公最期のシーンも素晴らしかったです。・・・本多忠朝公の酔いぷりもさらにパワーアップいたしておりました^^
●長政公/又兵衛公/勝永公:こちらの殺陣パートは真下さんに依頼いたしました。長年のノウハウで見事、黒田主従の別れを演じていただきました。なぜ黒田主従か、って?当然大河ですよ、大河^^
●おきく:今回のシナリオの設定は『おきく物語』を記したおきくさんの回想という形を取っています。おきくさんは大坂の陣で生き残った女性で、その体験談を遺しています。おきく役には芳野さんにお願いをし、手製の『おきく物語』を小道具として製作していただきました。
●乱戦部隊:乱戦部隊ですがいずれも甲援隊士ばかりです^^迷之介さんと私は主将、副将は高橋さんと鹿さんです。いつも私のムチャぶりに耐えてきた方ばかりですので、見事指揮を執っていただきました。
●各将:希望者、または私のリクエストでお願いいたしました。津のこばっちさんには前田利常役をお願いしました^^・・・一つ不満だったのは・・・鼻毛の長さが短かったことです^^
●音響:忘れてはならないのは音響。矢舞さんとりいさんの太鼓、そして充正さんの法螺貝。矢舞さんと充正さんも長年に亘る私のムチャぶりに耐えてきた猛者ですので、ばっちりでした^^
●和尚の光:違う意味で輝いていただいたのは和尚(羅生)さん^^びっくりしたのは法螺貝をマスターされていたことです。・・・でも和尚にも一つ不満が・・・。絶対台詞とちると思って期待していたのに・・・見事に役をこなしていただきました^^うーん、くそ、素晴らしい^^
●煙幕:全般的にも援助していただきました援軍山さんのご助力をいただきました。忍者ショーで慣れておられ、煙幕を効果的に使っていただきました。
・・・と一人一人素晴らしかったのですが、誰もが心を一つにして演じていただきました結果、来客の皆様に喜んでいただける内容になったのではないかと思います。
何でも涙してくれた方や、よくやってくれたと声をかけていただいたそうです^^
こうして本番が終了しまして、昼食のためブースに凱旋いたしました。




















本番終了後。
リハのため、お昼休憩がありませんでしたので、とにかく昼食のためブースへ移動。
本当はすぐに集合写真といきたかったのですが、初心者の方の体力を考え、あえて休憩としました。
ですが、ここからは実質フリーであり、気が楽でした。
昼食が終了し、向かったのは大阪城天守閣です。
実は大阪城の醍醐味は天守閣ではないのですが、ですが大人数で記念撮影を撮るには最適の場所です。また最も「大阪城」らしい場所でもありますし^^
天守閣前に参りますと、そちらでブースを出しておられます忍者衆の方のパフォーマンスを見学。そして全員揃って記念撮影です。
いやーさすがに130名ほどの武者が集まると壮観です。
集合写真を終え、次に向かったのは豊国神社です。
当初神社さんへの参拝は計画しておりませんでしたが、援軍山さんのご助力で参拝することが出来ました。
本殿に入り、玉串奉奠をさせていただきました。
奉奠をしたのは一海、豊臣秀頼公(知盛さん)、淀の方(116さん)、徳川家康公(蹴鞠さん)、松平忠明公(ケンくん)、真田信繁公(羽々斬・山下さん)、真田大助公(富楠さん)、毛利勝永公(毘毘さん)、後藤基次公(真下さん)、安井道頓翁(矢舞さん)です。
うーん、このチョイス・・・めちゃくちゃ私の想いというか趣味が入っております^^;
ちなみに幸村ですが、大坂の陣におけるシナリオでは「信繁」で通しました。
あくまで一説でありますが、幸村の名は江戸時代に創作されたものです。
ではなぜ創作されたのか。
それは江戸時代の作品でタブーなのは幕府や大名のマイナス要素を出すことです。
例えば赤穂浪士の話も、当初は南北朝時代の武将を当てはめています(浅野内匠頭は塩谷判官、吉良上野介は高師直)
現代で言えば『沈まぬ太陽』で国民航空と会社名を変更しているような感じです。
真田家は外様大名ですが、江戸中期に老中松平定信の子が当主となり、老中になっています。
幸村は幕府にとっては政治犯ですから、そのまま実在の名前は出せないのです。
といった状況を踏まえ、幸村ではなく信繁で通させえていただきました。
もう一つは、まあ今回のステージをじっくり拝見される方はコアな戦国ファンがほとんどですし、何よりも赤い甲冑を着用した山下さんの殺陣を見れば幸村だと説明しなくてもおわかりになるであろうと考えたからです^^
と、話がずれましたが、厳かな雰囲気で参拝が終了。その後宮司さんからお言葉をいただきました。
滅びておしまいではないシナリオを宮司さんにも褒めていただき、私が伝えたかった想いが届いたことに嬉しさを噛み締めておりました。
さてここでようやく一時解散。
疲れた方は西の丸庭園へ、まだ元気な方は大阪城行軍です。
ここからまあ、私のほぼブレーキなしの暴走(?)が始まります^^;
まず向かったのは青屋門です。
その途中梅林があるのですが、坂上に石山本願寺の碑があります。
そこで急遽、和尚を蓮如役に任命をし、勝鬨差配をしていただきました。本番ではスムーズに台詞が言えていた和尚も久しぶりのムチャぶりにちょっととちってくれました♪
坂を下りますと、そこは片桐且元の屋敷跡。
この日且元役でした鹿さんが勝鬨差配です。
青屋門前にはブースが並んでおりましたが、そこで勝鬨。
青屋門から次は極楽橋を渡り、山里郭へ。
山里郭には秀頼・淀殿のお墓があります。
山里郭は静かに進み、黙祷いたしました。
次に進んだのは京橋口から乾櫓方面です。
ここは道路に面していますので、音や声は一切なし。
ではなぜ遠回りとなるこのコースを選んだのか。
それは極楽橋―京橋口→乾櫓→大手門のコースにある石垣類が本当に美しいからです。
私はほぼ毎日大阪城をウォーキングしておりますが、このルートは本当に美しく、是非この前を甲冑で歩きたいと考えておりました。また多くの方に知っていただきたいとも願っておりました。
その念願がついに果たすことが出来、本当に感無量でした^^
こうして大手門へ進み、ようやく西の丸庭園に凱旋いたしました。
非常にハードな内容でしたが、可能ならば南外濠も歩きたかったです^^;
こうして無事に大坂の陣合戦祭は終了し、凱旋の油ソバを夜、矢舞さんと食したのでありました♪
今回は本当に予算が少なく、戦国魂さんは言うまでもなく、参加者の方も大変だったと思います。
ですが、次に繋ぐことが出来るだけの成果は挙げられたのではないかと思います。
次なる四百年へ―。
現在未定ですが、2015年の春にイベント予定がされております。
また今回ご参加いただきました皆さん、そして新しくご一緒していただく方たちと共に大阪を盛り上げていくご協力が出来ればと思います。
とにもかくにもご協力いただきました皆様に篤く御礼申し上げますm_m