三ツ鱗の血脈【三】
三
「円忠殿も苦労が絶えませぬな」
東国で熾烈な戦いがされている頃、京において天龍寺住持の無極志玄が、諏訪一族の小坂円忠を訪れていた。
志玄は先年入滅した夢窓疎石の弟子で、師が建立した天龍寺二代目の住持となっている。
疎石は後醍醐天皇や北条高時、足利兄弟からも、師と仰がれていた。志玄も幕府と昵懇で、とりわけ直義との関係は深かった。
「吉野方が都を制しても政は滞ってはならず、幕府の奉行人として休んではおれませぬ」
「篤実なことじゃ。御辺が、かつて婆沙羅であったとは思えませぬな」
志玄がそう言って笑うと、複雑な表情を円忠は浮かべた。
円忠が十九歳の頃、気ままに出家をしたことがある。
当時の出家は世を捨てることで、主君を見限る重大な犯罪であった。罪は親兄弟、諏訪神党すべてにかかるほど大事になって、円忠は焦燥した。
だが長老の諏訪直性が得宗家に取りなして、円忠一人の謹慎で決着したのであった。
このことが生涯の貸しとなり、北条が滅んでも、諏訪を守るために足利幕府の奉行人として働かざるをえなかったのである。
「その諏訪が、いつまでも騒いでは立つ瀬がありませぬな」
諏訪は十年前に北条と決起したが、円忠が必死に奔走して乗り切った。だが、また反乱を起こして、将軍を切腹寸前にまで追い込んだとあれば、円忠もかばいきれない。
「諏訪の大祝殿が諱を改めたが・・・・・・無駄になりましたのう」
そう言ったのは、鎌倉争奪戦の直後、尊氏に捕縛された直義が、にわかに没したからである。
「諏訪には諏訪の考えがあろうが、吉野方に加担していては、諏訪は幕府、いや天下の敵となる。小笠原が気がかりであろうが、ご案じなさるな」
尊氏が小笠原を支援していたのは、高一族が信濃で勢力拡大を目論んでいたからである。だが高一族が滅び、直義も死んだ今、小笠原だけを保護する意味が尊氏になくなっている。
「将軍はお困りだ。幕府に恩を売るなら今。大祝殿を動かすべきじゃが、それが出来るは円忠殿だけじゃ」
北条と縁を切ることが一番であり、諏訪を救うためなら、小笠原と共存してもいいと円忠は考えている。だが時行と密着しているみさくらに害が及ぶことを円忠は懸念していた。
婆沙羅な円忠は、みさくらが好きであった。
自分らしく生きたいと願い、世が呪縛のようになって、足掻いている彼女に同情していたからだ。円忠にはやれなかった気ままに生きていることがうらやましく、それがゆえに諏訪にとって不利な行為をしていても見て見ぬふりをし続けてきたのであった。
「よほど藤澤の姫が大事なようですな」
「いえ、その・・・・・・」
「その大事な姫が身ごもったそうじゃな」
まさか、というより、しまったという後悔が円忠を襲った。
ーーこうなることはわかっていたはずだ。
何を考えてか、大祝が自分の妻を単身で、男である時行の側に侍らしてきた。円忠は婆沙羅を気取っていただけに、男女について嗅覚が鋭い。いや鋭くなくとも、男女が一つ所にいれば間違いを起こすことは常識である。
だが直頼にしろ、円忠にしろ、不遇なみさくらを想うばかりに現実逃避して、そのようなことはないと信じ込んでいた。
だが今や志玄という部外者にまで知られ、この醜聞を明らかにされたら、大祝の体面は損なわれ、諏訪信仰が地に落ちることは明らかであった。
「何を迷ってなさる。小笠原に抗してきたは、ひとえに諏訪大神をお守りしたいからであろう。大神の加護を受けながら、ないがしろにしたのは誰か。それは北条時行ではないか。あの者さえいなければ、諏訪に血は流れず、天下に静謐が訪れたのじゃ。簡単なことじゃ。諏訪を救うために、ありのままを知らせればよいのじゃ」
「だ、誰にです」
「言わずもがな、大祝殿に、じゃ」
この瞬間、眼前の高僧が悪鬼のように見えた。口調も表情も柔和であったが、言っていることに人情のかけらもなかった。だが諏訪を守るためには、この非情な要請を断ることはできなかった。
ーー許せ、みさくら。
足許が崩れ去るような脱力感にさいなまれながら、円忠はみさくらを地獄に突き落とす密書をしたためた。
「まさか、みさくらがーー」
円忠の書状を受け取った直頼は、血の気が引く感覚に襲われた。
直頼は現人神として諏訪を守るべく生きてきた。時行に好意的であったのは、諏訪を守ってくれた得宗家への恩義があったからだが、それ以上に友情あってのことであった。
みさくらも妻以前に諏訪で育った幼馴染として愛しており、彼女の境遇に同情してきた。だがその憐れみが彼女を不義に奔らせ、救いようのない侮辱を直頼に与えたのである。
ーーわしは愚かじゃ。何たる不甲斐なさ。
激しい自己嫌悪にさいなまれながら、やがて直頼は別な感情で自分を救い出す。
ーー悪いのは・・・・・・時行だ。時行なのだ。
当然の怒りを時行にぶつけたが、どうしたわけか、みさくらに向けることが出来ずにいた。だがその感情が強ければ強いほど直頼の胸は苦しくなり、とめどなく涙があふれた。
やがて苦しみから逃れたい心が芽生え、直頼はひとつの結論を出した。
ーーすべて無かったことにすればいい。すべて消し去ってしまえばいいのだ。
自分は神聖なる大祝であり、諏訪大神の代行者である。聖なるものを守るために穢れを目の前から消し去るしかない。
ーーすべて北条なのだ。
北条のために諏訪がどれほど穢されてきたことか。大祝の役割は神との対話であり、北条に忠義を尽くすことではなかったはずだ。
かつての大祝が八幡太郎義家の願いを受けて信濃を出たが、神罰を受けて頓死した。外界の穢れは諏訪を滅ぼす。ここ数年、神渡りがなかったのも、大神の怒りに違いない。
数日後に戻ってきた円忠に、直頼は沈んだ声で、「諏訪を守るのだ」とつぶやいた。
「小笠原は滅ぼせませぬが、諏訪の身上が立つよう、将軍が取り計らわれましょう」
「・・・・・・ふむ」
「ただし、これまでと違う道を歩まねばなりませぬ。副将軍と高一族は滅びました。吉野方は戦っておりますが、所詮は烏合の衆。諏訪が頼るは、もはや将軍のみ。そのために証が必要でございます」
「どうすればよい」
「大祝の諱は副将軍への忠義の証でございましたな」
すぐさま諱を改めるのだと理解したが、副将軍が死んで将軍にしっぽを振る無節操さを直頼は嫌がった。
「ご案じなきよう。ここに随意の一字をしたためていただければ、それで結構」
そう言って差し出したのは尊氏の花押が書かれ、「頼」と大書された紙であった。諏訪家の通字である「頼」を諱にすれば元に戻るだけであり、直頼は無表情でうなずいた。
直頼は筆を取ると、乱暴な字で「嗣」としたためた。
「嗣」は以前の「継」に通じ、諏訪を嗣いで守っていくという意思表明であった。
「諏訪の御為に、めでたき限り」
円忠は深く頭を下げ、ちらりと直頼の目を見つめた。
ーー北条に人をやりますぞ。
つまり刺客を送ると言外に伝えたのである。
頼嗣は無言のまま、憎しみを込めて筆を折り、「了」と応えた。
ーーどういうことだ。
みさくらと行動を共にしていた時行は命を狙われた。
またいつもの、と思っていたが、みさくらに刃が向けられたことで状況が一変したことを知った。何より驚いたのは守護していた藤澤の者が襲ってきたことであった。
「なぜ、みさくらを殺そうとするの?」
疎外されたことはあっても、殺されそうになった経験はなく、みさくらは錯乱した。
彼女を追いつめたのは、それだけではなかった。
子を孕んだことでつわりに苦しんでいる最中、刺客から逃げなければならなかったからである。
「気をしっかり持て」
京で助けてくれたように時行は頼もしかったが、今のみさくらには、それがなぜか腹立たしい。
「亀寿様と行くなんて嫌」
駄々をこねるみさくらに時行はただ困惑した。
このまま留まれば、間違いなく殺されてしまい、時行は腹の子のために逃げようと言っても、それがまたみさくらの癪にさわった。
ーー亀寿様のせいで、みさくらはこんなに苦しんでいるのに。
密通が露見したために狙われていることを、みさくらは頭で理解できても、感情がそれを妨害した。
子ができたと知った時、みさくらは何ということをしてしまったのかという後悔とともに、諏訪から解放してくれた時行と、身に宿した命を愛おしく思った。
だがつわりの苦しみは女子だけのものであり、どんなに気を遣っても男は共感することが出来ない。その「鈍感」さが無責任に思えて、みさくらには腹立たしくて仕方がなかったのだ。
一方、時行は異常なまでに高揚感を味わっていた。
ーーわしが守ってやる。
そう思って、むずがるみさくらをかばって逃げたが、時行は自分に酔いしれていた。
天涯孤独だと思いつめていた自分に子が出来たことで、か弱いみさくらを守ってやらねばという男としての喜びを味わっていたのである。
追手を撒き、時行たちは信濃を脱して上野に赴いた。上野には叔父の時興が集めた北条残党が潜んでおり、そこを頼ろうとしたのである。
ーーどうすれば、みさくらを救えるのか。
必死に逃げながら時行が導き出したのは、時興を「利用」することであった。
時行は人に利用され、人生を乱されたことに怒りを抱いてきた。
人を扇動して、無意味に殺してきた時興を軽蔑しきっていたはずであった。
だが追いつめられて、みさくらを救うことを第一に考えると、時興を踏み台にするしか、この窮地から脱する方法はなかったのである。
このころ、東国は混乱の極致に達していた。
直義が死に、南朝や北条を屠った尊氏であったが、世情は安定せず、どんなきっかけで崩壊するかまるで先が読めなかった。
だがこの乱世こそ時行にとっての希望であり、混沌すればするほど、みさくらに生きる道を与えられると思えてならなかったのだ。
ーーそのために叔父得意の乱擾が入用なのだ。
時行はすぐさま時興を探したが、行方が知れなかった。
やがて見つけ出すことが出来たが、対面した彼には覇気がなく、枯れ果てた老人のようになっていた。
「構わんでくだされや」
「先の負け戦のことは許しましょう。会稽の恥を雪ぐのではないのですか」
「会稽の恥・・・・・・。ふふふ。無駄なことじゃ。いくら戦っても、わしは何もできなかった。ましてやーー」
今の時行は狂気に満ちている。そんな男と地獄に落ちるは馬鹿馬鹿しいと嘲笑した。
その瞬間、時行の中で何かが弾ける音がし、地獄の光景が蘇った。
ーー若、太刀をお捨てになるな。
顔を血みどろにした諏訪頼重が現れ、羽交い絞めにされて、狂乱する母が目に浮かんだ。
大仏に押しつぶされた屍の山が見え、そして大きくなった腹を抱えながら、恐怖に震えるみさくらの顔が脳裏をよぎった。
ーー許さぬ、許さぬぞ。
如意ならぬ修羅に導いたありとあらゆるすべてを時行は憎悪した。
悪鬼になった時行に、時興は恐れをなして逃げようとしたが、時行は猿のような素早さで飛びつき、発作のように太刀を抜いた。
奇声のような怒号を発したかと思うと、時行は幾度も時興の背から太刀を突き刺した。断末魔とともに血しぶきがあがったが、それが時行をさらなる凶行に奔らせる。
何度も心臓を衝き、そしてえぐりにえぐった。
怒りなのか、それともつもりにつもった怨みを晴らした喜びなのか。
時行は嬉々としながら、死体となった時興をいたぶり続けた。
惨状に気づいた北条の郎党たちが制止したが、時すでに遅かった。
ーーわしは何ということを。
と、時行は微塵にも思わない。むしろ清々しく、翻弄し続けてきた叔父を殺したことは、仇討ちのように思えてならなかったからである。
「・・・・・・みさくら」
血みどろになった時行は、凝固するみさくらを強く抱きしめた。
「勝って勝って勝てば皆がわしに従う。そうなれば諏訪も昔のように北条に従う。また三人で諏訪の湖を眺めるのじゃ。そうじゃ、その腹の子は、わしと大神の御子じゃ。そなたが産むのじゃから、そうに違いない」
延々と時行は語り、呆然自失したみさくらは、ただ天井を眺めながら、何も話さなかった。
北条時行、挙兵す。
この知らせに尊氏は驚愕した。長年戦い続けてきた尊氏は、北条勢にただならぬ狂気を感じていた。
時行は兵法にかなった采配をしているように見えるが、将は兵を失わないことを第一に考えなければならない。だが時行の戦い方は、尊氏さえ殺してしまえばという怨念しかなく、むき出しの殺意に尊氏は本能的に恐れた。
無機質な日々が始まった。
「出陣する」
そう言って時行は甲冑を身にまとい、みさくらがそれを見送る。
何日かすると、時行は戻ってくるのだが、そのたびに全身を血で染め、多くの兵を死なせていく。
だが時行は気味が悪いほど優しい笑みを浮かべて、みさくらの腹を血だらけの手でさすった。
「出陣する」
また時行は支度をして、みさくらに声をかけたが、庭に咲く桜を凝視して、手にした脇差を渡そうとしなかった。
「みさくら、脇差をよこせ」
「亀寿様・・・・・・」
みさくらは、ひどく優しい目をしながら、時行に語りかけた。
「もう・・・・・・よしましょうよ」
「何をだ」
「あの桜を見て。美しく咲き、そして静かに散っていく。花を散らして実をつけて、また次の年に咲く。諏訪も北条も何もかも捨てれば、きっと楽しく過ごせるはず」
にっこりと微笑むみさくらを、時行は今までに見せたことのない形相でにらみつけ、そして怒鳴りつけた。
「今さら、何だ。逃げても戦っても敵が、いや足利尊氏が生きている限り、わしらが笑って旅することはできぬのじゃ。わしはお前のため、その子のために戦っているのに、なぜそのようなたわけたことを申すのじゃ」
「・・・・・・みさくらのため、この子のため?」
みさくらは身体を震わせながら、笑い出した。
「何がみさくらのため、子のためじゃ」
そう言うと、みさくらは手にした脇差を目にした。柄には北条の家紋「三ツ鱗」が彫られている。
「・・・・・・そうか、そうだったのだ」
「みさくら・・・・・・?」
「・・・・・・そうだったんだ」
天下のため、郎党のため、そして自分や子のためと時行は言うが、北条という「名将」に生まれてしまった時行は大義という綺麗ごとで人々の生き血をすすってきた。北条という家はそうして数多の血を流させて、公平な政などと抜かして天下に君臨してきた。
何が自分を地獄に追いやったのか。
すべてはこの家紋、三ツ鱗の血脈を抱く者がいたからではないか。
ーー亀寿様が好き。
正気を失った今だからこそ、みさくらは時行という、ただの男性が好きでたまらなく、お腹の子も愛おしかった。
ーーもう逃げようよ。
子供のように願っても、「名将」になり果てた時行は耳を貸してはくれなかった。
そう、すべては時行の五体に流れる三ツ鱗の血脈が為せる地獄であったのだ。
「わかった、わかったのじゃ、みさくらはわかったのじゃッ」
そう叫ぶや、脇差を庭に放り投げ、飛びつくように時行の両の腕に爪を立ててつかんだ。その力は尋常ではなく、籠手や直垂の家地を突き破って血を流させた。
「みさくらを地獄に追いやったは、この腕から流れるこの血じゃ。幾多の人々を滅ぼし、生き血をすすり続けた北条の、三ツ鱗の血脈が不幸にしたのじゃ。すべて、この血が悪い。この血がある限り、幸せにはなれぬのじゃッ」
流れろ、流れろ、そして果ててしまえ。
みさくらはひたすら泣き叫び、時行の腕からは血が流れ続けた。
ーーわしに流れる血が悪い・・・・・・?
何を言っているのかわからず、時行は、みさくらの狂態を眺め続けた。
不思議と痛みを感じず、ただ腕から穢れた血が流れてくれていることに、不気味な快感を覚えていた。
延々に続くと思われた惨状であったが、郎党たちが割って入って終わりを告げた。
泣き叫ぶみさくらは別室に連れていかれ、両腕を真っ赤にした時行だけが残された。
「・・・・・・行く。わしは戦場に行く」
ついに正気を失われたかと、郎党たちは固唾を呑んだが、時行の顔つきは凛然としていた。
ーーそうか、この血なのだな。
何をやっても不幸が訪れる理由がわからなかったが、みさくらの言葉が答えを示してくれた。
「やはり、みさくらは良き女子だ。行くあてをいつも教えてくれる」
諸悪の根源を断てばいい。そうすれば「行くあて」を見つけられる。
禍々しい眼光をたたえながら、時行はあるはずもない光明を見出していた。
「兜はいらぬ。手当も無用。戦って戦う」
時行の耳に誰の声も入らず、その目にいかなる光も入らない。ただ突き進んで、五体の血すべてを枯らせるまで時行は戦った。
矢尽き、刀が折れても時行は戦い、その狂気に兵たちは恐れおののき、四散した。
気がつけば、時行には二人の郎党しかおらず、あえなく足利勢に捕縛されて鎌倉にいる尊氏の許に送られた。
ーーことごとく斬首せよ。
尊氏は躊躇うことなく、そう命じた。
時行主従が処刑されるのは、鎌倉龍ノ口で、鎌倉幕府の処刑場であった。時行たちは近くの江の島に移され、土牢で最期を待つことになった。
ーーよう、中先代殿。
朦朧とする意識に呼びかけたのは、三浦高通であった。
「・・・・・・介か。こたびは見かけなかったな」
「将軍の陣に馳せ参じていたからな」
あまりにも野放図な言い方に時行は苦笑してしまった。
「損な性分だ。この期に及んで現実をありのまま受け入れる素直さがある」
高通はひどく真剣な表情で声をひそめた。
「介が、助けてやろうか」
何を馬鹿なことを、と時行は一笑に付したが、高通は動じない。
「将軍は四方八方敵だらけだ。吉野方は将軍を見限って、背後を襲っている。この機に乗じれば、中先代殿にも目がある。そなたと幕府を作るのも面白い。どうだ?」
「相変わらずだな。だが・・・・・・」
詮なきことだ、と断ろうとした時行の口を高通は制した。
尊氏は勝ったが、世は混沌としている。
時行は若く、将の器である。南朝方が勢いを取り戻そうとする今、死ぬのは虚しいだけだ、と高通は力説した。だが時行はまぶしそうに見つめるだけで、うんとは言わなかった。
「介は時行を友垣だと思うてくれるか。北条でも三浦でもなく、同じ世を生きた朋輩だと思うてくれるか」
意味がわからなかった高通であったが、やがて優しい眼光を取り戻した時行を見て悟った。
「与えられた才覚を捨てるつもりか」
「才覚も血脈も、今はただ一つのことに使いたい。これまで逃げて自分のためだけに使ったが、はじめて人のために使いたい」
人のためにと、時行は言ったが、高通はただ一人、いや子を宿すみさくらたちのために使いたいことを察した。
「わしは愚かにもさまよい、奪ってはならぬものを奪った」
だから守りたい、と時行は微笑んだ。
時行は何が悪いのか、なぜこのような人生なのか苦しみ続けた。その答えを、足利尊氏を討つことに求めたが、そうではなかった。
時は流れ、それに乗れぬ者は消え去らなければならない。だが北条という先の時代を担う家に生まれた時行は、ひっそりと消えることはゆるされなかったのだ。
ーーこの血が悪い。
そう、すべて北条の、三ツ鱗の血が時行や諏訪、そして地獄に連れ立ってしまったみさくらを不幸にしてきた。不幸の連鎖を時行が断つ方法は一つしかないのだ。
「わしはいつ死ぬ」
「明後日・・・・・・五月二十日だ」
時行は土牢から見えぬ天を仰ぎ、最後の願いを聞き届けてくれることに感謝した。
正平八年(文和二年)五月二十日。鎌倉龍ノ口。
中先代・北条相模次郎時行と、郎党二人の首が刎ねられた。
死ぬ刹那。
時行の目に、散ってしまった桜の花びらが、たしかに見えた。そして耳奥には鎌倉の波音が聞こえ、脳裏には美しく輝く諏訪の湖がよぎった。
鎌倉が陥落した元弘三年五月二十二日から十九年の歳月が流れていた。
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