一海漫遊記【喜志2012年】

2012年7月15日~天皇陵めぐりin喜志~
7月15日は河内長野方面・喜志駅を起点に天皇陵めぐりをしてきました。
炎天下の中、6時間ぐらい歩いていたのですが…倒れそうになりました(涙)

まず昼飯前の運動ということで天王寺までウォーキングをば。
シャレにならない猛暑でしたが、普段のウォーキング効果か、割と平気でした。

昼食を終え、いよいよ近鉄電車に乗って喜志駅へと向かいます。
喜志駅は我が母校・大阪芸大最寄駅で、とても懐かしい駅です。卒業してから15年ほど経ちますが、駅前にマクドが出来ていたり、本屋が潰れていたりなど色々と変化が。

さて喜志駅からいよいよ天皇陵めぐり開始です。
まず向かったのは聖徳太子御廟がある叡福寺です。喜志駅からかなり離れており、日陰のない道をひたすら歩くことに^^;

ようやく辿り着いた叡福寺ですが、趣のあるお寺でかなり気に入ってしまいました。



私は聖徳太子不在説派なのですが、四天王寺や法隆寺などいわゆる聖徳太子縁とされるお寺には他にはない情緒があります。
これは『三国志演義』や『水滸伝』、宮本武蔵や川中島の一騎打ちなどのように長年庶民に愛され続けてきたことから生まれた一つの史実なんだろうな、と感じます。
歴史はしばしば架空または史実から生まれた虚構が人々によって史実以上の史実になるものですが、聖徳太子伝説などはその最たるものだとこの叡福寺に参詣して感じました。

叡福寺で心地よい夏風を楽しみながら、次なる地へと向かいます。
実はこのお寺の墓地に母方の祖父母の墓があり、折角ですので墓参いたしました。

墓参後は聖徳太子の実父で第三十一代用明天皇陵です。



叡福寺より少し離れた場所にあります。

さらに進み、近つ飛鳥博物館近くに大化の改新時の天皇で、中大兄皇子(天智天皇)の叔父である第三十六代孝徳天皇陵です。



孝徳天皇は中大兄皇子と政治的に対立し、失脚した天皇で、その子・有間皇子もまた犠牲者となりました。

この日は近隣でだんじりがあったらしく、ずっと掛け声が聞こえており、天皇陵からその声を聞いておりました^^

さて次に向かったのは小野妹子の墓…のはずだったのですが、場所がまったくわからず、次回に見送り。
気を取り直して推古天皇陵へと向かいました。

推古天皇陵も中々わかりにくい場所にあり、何度も地図を確認しながら探し続けました。
第三十三代でご存じ我が国最初の女帝である推古天皇陵は深緑に包まれた場所にあります。




次に向かったのは推古天皇の夫で、第三十代敏達天皇陵です。


これでこの日の天皇陵巡りは終了したのですが、次に向かったのは母校・大阪芸大です。
実は数年前に源氏三代の墓巡りの際に寄ったのですが、色々と変わっていました。

芸大で少しゆっくりした後は、喜志駅へ向かって帰還いたしました。

色々と楽しめましたが、長時間歩行は結構こたえましたね^^;;
翌日はずっとバテていました^^;
来月の祟徳天皇陵、大丈夫かな???

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