一海漫遊記【夏旅行2002】

2002年夏旅行~2002・7・28~8・1~
2002年7月28日 大阪―東京

 諸事情により休暇が洒落にならないほど取れた2002年夏。その休暇を有意義に過ごそうと久しぶりに5日ほど旅行してまいりました。今回のテーマは「武器屋めぐりと利家とまつ紀行」といういかにも一海らしい旅行となりました。
 さて今回も18キップを使用し、ハードなスケジュールで旅行を敢行しました。まず初日にいきなり大阪から東京へ出てしまおうという無謀極まりない計画を立て、出発しました。少しでも早く到着するように始発に乗り、順調に東京へと向かいました。ところが―!! あろうことか、野洲から米原間が衝突事故のため、不通になってしまっていたのです。正確には彦根―南彦根間で電車と自動車が接触したらしく、ここで大きく時間のロスをくらってしまいました。おまけにこの日は日曜日で代行バスの手配もできず、いつ米原まで行けるのか皆目見当がつかない有様でした。
 しかしそこは多少は旅なれた一海さん。「そうだ、ここは湖西線で北から米原へ抜けよう」と思いついたのです。が、それは大きな誤りでした。野洲から山科へ戻り、一路湖西線で米原を目指したのですが、何と永原から北陸線への経路がなくなっていたのです。たちまち路頭に迷ってしまい、最悪の場合は湖西線を戻らなくてはいけませんでした。ところが悪運が強いためか、永原から木之元駅までバスが出ていたために無事北陸本線へ辿り着くことができたのです。
 が、このバスでも危うく訳のわからないところへ行きそうにはなっていました。木之元駅行きのバスが10:05に到着する予定で、その時間通りにバスがやってきたのです。しかしそのバスはちょっと変で、行き先も書いていなければ、中には料金箱もない。おまけに
「あ、お客さん。このバス15分から出ます」
と言ったきり運転手のおじさんはどこかへ行ってしまう始末。妙だな、と首をひねっていると、木之元行きのバスを紹介してくれた駅員さんが
「あ、そのバスは違うんです。木之元行きはちょっと来るのが遅れているみたいです」
あ、危ねーーーーー!!! そう、私は送迎バスに乗るところだったのです。本物のバスはそれから2分後に到着し、無事木之元へと向かいました。
 その後は順調に東へと進み、ようやく東京へ到着したのは夜も7:30すぎでした。本来ならば4時前には到着していたのですが、3時間半も遅れてしまいました。そのため東京で友人と御飯でも食べようかと思っていましたが、ほとんど話せず、その日はクタクタになって床へつきました。

2002年7月29日 東京〔新宿・御茶ノ水/上野/浅草〕―鎌倉―横浜

 旅行第二日目。この日は今回の旅の目的の一つ武器屋さんめぐりです。まず朝一で新宿にある太陽プラネットさんへと向かいましたが、前日の凶運が残っていたのでしょうか、開店はお昼からで、仕方なく御茶ノ水へと向かいました。
 御茶ノ水へは五代将軍綱吉が孔子を祀るために建てた湯島聖堂へと向かいました。

湯島聖堂
 しかし、ここでも凶運の残影があり、湯島聖堂が閉まっていました。中の孔子像が見ることが出来ず、仕方なく聖堂を後にしました。ちなみに孔子像を見たい方は土日祝日に訪れてください。
 聖堂を出た後、すぐ近くに神田明神があることを知り、そちらへ向かいました。神田明神は江戸っ子に馴染みの深い神社で、化政文化の中心地のひとつです。

神田明神。しかし工事中(TT)

境内にある銭形平次の碑。「おーとーこだったあらあ♪」
その江戸っ子の文化を反映した『銭形平次』の舞台もここで、境内には銭形平次の碑が建っています。

 さて次に向かったのは浅草です。浅草はもうこれで三度目で武器好きの人にはたまらない場所です。東京へ行くたびに浅草には必ず寄っています。しかしその前に上野へ寄りましたので、軽く御飯を食べました。実は今回の旅の隠れたテーマの一つが某有名ラーメン店の本物と偽物の味を比べることもありました。上野へ寄ったのはそのためです。その某ラーメン店は博多では著名なお店で、私が今まで食べたラーメンの中では最高の味でした。その偽物とどう違うのか味比べをしたかったのです。結果は本物店の方が上でした。しかし決定的な差ではなく、偽物店も充分やっていけるほどの味でした。目下元祖店が訴えているそうですが、偽物店はあまりに真似しすぎていますので、負けるのでは―と密かに思っています。

これぞ有名なジャイアントパンダ像。
 さてラーメンを食べ終え、いよいよ浅草へ。浅草の第一目的は何と言っても雷門・・・ではなく鎧販売店の「光山堂」さんです。光山堂さんの様子は別ページにて紹介いたしますので、是非そちらをご覧ください。しかし鎧好きにはたまらないお店でした^^
 光山堂さんで夢のひとときを得た跡、浅草寺へと向かいました。浅草寺の見所は何と言っても仲見世通りです。とにかく見ているだけで楽しい通りです。

怪しい忍者がいるかと思えば、交番には『躍る大捜査線』で登場したピーポーくんがいるなど、洒落の利いたものがたくさんあります。古き良きものと新しさ、そして江戸っ子ならではの洒落センスが交じり合った場所がまさしく東京浅草です。是非皆さんも機会がございましたらお寄りください。

浅草寺。江戸文化が漂う。
 さて浅草を去った後は新宿へ戻り、太陽プラネットさんへ寄り、さらに鎌倉へ足を向け、「山海堂」さんへご挨拶にいきました。こちらの様子も別ページにて紹介いたします。

由比ヶ浜。鎌倉の前方を守る海。
 山海堂さんを出てからは由比ヶ浜で大鎧のことを夢想しながら(て何でやねん)散歩し、横浜へ向かったのは夜7:30でした。夜の鎌倉は寂しく、また荷物も重いため、すっかり疲れていました。
 その疲れきった体に鞭打ったのがこの夜の宿でした。いつも泊まっている宿が満室で急遽宿を探さなければならなくなったのです。私jは
「勘弁してくれや―」
と半泣きになりながら、何とか宿を探し、明日は小豆な不運が来ないように願いつつ、寝ることにしました。

2002年7月30日 鎌倉―熱田―名古屋

 旅行三日目。この日は大学時代中国語を教えていただきました先生との再会の日です。その前に観光でもと思い、まずは鎌倉へと向かいました。
 鎌倉でお勧めのコースが一つあります。まず北鎌倉で下車し、鶴ヶ岡八幡宮まで歩くコースです。その間、円覚寺・建長寺・東慶寺など鎌倉の代表的な建築物を見学できるからです。しかし早朝のため全て閉まっており、外から眺めるほかありませんでした。
 やがて鎌倉の中心地である鶴ヶ岡八幡宮に到着し、ここで小1時間鎌倉の町を見下ろしながら休憩をしました。


鶴ヶ岡八幡宮。この銀杏の下で実朝が暗殺された伝説が・・・
八幡宮は鎌倉で一番好きな場所で、必ず寄る場所です。ここで武運長久を願う習慣がついてしまいました^^

銭洗弁財天。しっかり銭を洗ってきました。
 さて八幡宮を去った後、鎌倉駅へ戻ろうと考えたのですが、ふと「銭洗弁財天」の看板を見つけ、つい行ってしまいました。ところが銭洗弁財天はそこそこ距離があり、鎌倉駅へ着いた頃には危うく熱中症で倒れ掛かっていました。(本当にやばかったです)しかしちゃんと小銭を洗ってきましたので、心残りはなく、鎌倉を後にしました。

熱田神宮内にある信長塀。三大寄贈塀の一つ。
 鎌倉を去り、一路先生の待つ名古屋へと向かい、その途中で熱田へ参りました。熱田といえばもちろん熱田神宮です。熱田神宮は織田信長が桶狭間の戦い前に戦勝祈願をした神社で、戦後に寄贈した信長塀が有名です。戦国大名はおもしろいもので神仏とよく契約をしています。かの「武田信玄もそうですし、上杉謙信もそうです。「勝たせてくれたら、何かを寄贈します」といった類のもので、戦国大名がいかに現実主義者であったことかを物語っています。
 熱田神宮を参拝したあとはいよいよ先生にお会いしました。先生には中国旅行をご一緒させていただいたり、旅行の旅に色々とご馳走していただいたりしています。今回もご馳走していただいた上に泊めていただくなど、何度お礼を申しましても足りないほどです。また中国へご一緒させていただきたいと願っております。
 こうして名古屋で安眠をとりつつ、旅の後半に備えることにしました。

2002年7月31日 名古屋―富山―金沢

 旅行四日目。この日はいよいよ北陸行きです。

富山城。小さいながらも重厚な造り。
 まず目指したのは富山です。高山線を使い、一路富山で向かいましたが、油断をすると大変なことになります。岐阜―富山便が日に2本しかないということです。朝一番に乗らなければ日中には着けませんので、鈍行で行かれる方はご注意ください。
 とにもかくにも無事富山に着いた私は2年ぶりのお城スケッチをすることにしました。
 富山城は佐々成政が居城とし、その後前田分家が入城したお城です。城内には越中富山の薬を世に広めた前田正甫の銅像があり、富山の歴史が学べます。小1時間をスケッチで過ごし、今回のメインテーマである「加賀百万石博」を見に、金沢へと向かいました。

 加賀百万石博はご存知2002年度大河ドラマのテーマ博で、大河ドラマにちなんだイベント満載です。私は毎年このテーマ博に参加しており、最初に参加したのは毛利元就博でした。このテーマ博は当り外れが激しく、外れの場合は「金返せ―!!」と言いたくなるようなものもあります。
 今回の博は充分楽しめたものでした。もっとも私が鎧好きのため、多分に点数が甘くなっているのかもしれません(笑)

金沢城・石川門。ここから百万石博会場へ入る。
 大河のテーマ博はよくお城をそのまま利用する場合が多いですが、今回の博もそうです。石川門付近を会場としており、雰囲気は抜群です。
会場を案内してくれる甲冑武者。炎天下の苦労、わかりますぞ(^^;;)
また演出も素敵で、何とこの炎天下を甲冑フル装備している人が案内人をしておりました。ちなみにこの甲冑は私のものと同じものです。

お約束1
そして中では上図のように殿様気分が味わえる空間もあり、

お約束2
このように兜をかぶるコーナーがあります。もちろん正しい緒の締め方をして撮影いたしました。その他にも大河で使用された甲冑が展示されていたり、メイキングビデオが流されていたりなど、面白い企画でいっぱいでした。


2002年8月1日 福井・一乗谷―福井―長浜―大阪

 金沢を見終え、ついに最終日。福井方面から大阪へと帰還いたしました。その途中で朝倉家の拠点一乗谷にまず寄ることにしました。
 この一乗谷ですが、その名の通り、谷の合間にある場所で、自然豊かな土地です。さらに谷の中央には復原武家屋敷などがあり、見所満載です。正直申しましてここまで素晴らしいとは思いませんでした。機会がありましたら是非ここで直垂オフ会などをしてみたいものです。(本当にするかもしれません)


見事に再現された一乗谷武家屋敷。

朝倉義景の墓。
 さて一乗谷を去り、一路福井へ戻りましたが、次の電車まで1時間半ほど時間があきました。そのため少しばかり福井市内を観光することができました。
 まず最初に向かったのはこの地で最期を遂げた柴田勝家とお市を祭った「柴田神社」です。

柴田神社。右が勝家像で左がお市像。
柴田神社は彼の居城であった北ノ庄城跡に建てられた小さな神社で、再建はつい2、3年前にされたものです。中にはお市の三人の娘(茶々、お初、お江)を祭った三姉妹神社があります。
 その神社から歩くこと10分ほどに福井市役所があります。その市役所は福井城址に建っており、すぐそばに天守台があります。また市役所内には福井城を築城した結城秀康の像も建っています。

 福井を去った後は長浜へ行き、長浜城へ登りました。長浜城からは琵琶湖が一望でき、良い旅の締めくくりができました。
 このような旅をするのはいつになるのかはわかりませんが、また行きたいですね。次は是非東北あたりに行きたいな、と考えております。

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